王様。
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2008/09/03 11:14 投稿番号: [74790 / 85019]
>おまいら、それじゃあ総理に何をした?ハア?総理が困ってる時応援のひとつもしたか?総理が窮地に立ってるとき、盾になってやったか?要求要求ばかりで足を引っ張っていなかったか?そんなお前らが批判できる立場か。」と、まくし立ててやった。
>国民もそろそろ、総理に(日本に)何ができるか、何をするべきか考える時期じゃねえか。
いたって正論。反論の余地は無かったでしょうね。
有名なケネディ大統領就任演説の言葉ですが「国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、 あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい。」ということですね。
>現実問題総理大臣にはもっと権威を与えても良くねえか
「権威」と「権限」を峻別している物として返信させていただきます。
小泉政権時代に、内閣総理大臣の「権限」が強化されたことはよく語られますが、総理大臣の「権威強化」は遅れていますね。
与党の党首が内閣総理大臣に任命されるという間接的首班指名制度ですが、国民の最大多数意見の反映として総理大臣が任命されているのですから、日本国民は、外国人に侮られることのない様、首相の権威を維持するよう務めるべきですね。
同意します。
>総理の一言で国民はひとつになって動くぞって事をわからせてやりゃ
これは、無条件に賛成はできません。
日本国の国家元首は天皇陛下です。
日本国民がひとつになって動くときの精神的権威は「天皇」にあるべきです。
これは、「天皇陛下の一言で国を動かす」と言っているわけではなく、民主的に選ばれた政府の方針に天皇陛下が権威を付与するといった意味です。
「総理(特定の人格を伴う個人)」の一言で国民が動くという状況は、ファッショ(自由主義を否定する専制主義)です。そこまで高度な「権威」を個人に認めることは危険だし、日本人のエトスに合致しない。
「天皇」に「個人的人格」はありませんので、天皇の権威はファッショにはなりえません。
今回の僕の投稿をサマライズすると、貴方の投稿に対して過半は同意。
「総理の権威」に関しては、「個人の一言で国が動くほどの権威」を与えることには反対だが、外国人に侮られない程度の「首相の権威」を国民が抱くことは必須、といった所です。
テーマを、愛国論、天皇論へも広げていきましょうか,,,,,,。
>国民もそろそろ、総理に(日本に)何ができるか、何をするべきか考える時期じゃねえか。
いたって正論。反論の余地は無かったでしょうね。
有名なケネディ大統領就任演説の言葉ですが「国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、 あなたが国家に対して何ができるかを自問してほしい。」ということですね。
>現実問題総理大臣にはもっと権威を与えても良くねえか
「権威」と「権限」を峻別している物として返信させていただきます。
小泉政権時代に、内閣総理大臣の「権限」が強化されたことはよく語られますが、総理大臣の「権威強化」は遅れていますね。
与党の党首が内閣総理大臣に任命されるという間接的首班指名制度ですが、国民の最大多数意見の反映として総理大臣が任命されているのですから、日本国民は、外国人に侮られることのない様、首相の権威を維持するよう務めるべきですね。
同意します。
>総理の一言で国民はひとつになって動くぞって事をわからせてやりゃ
これは、無条件に賛成はできません。
日本国の国家元首は天皇陛下です。
日本国民がひとつになって動くときの精神的権威は「天皇」にあるべきです。
これは、「天皇陛下の一言で国を動かす」と言っているわけではなく、民主的に選ばれた政府の方針に天皇陛下が権威を付与するといった意味です。
「総理(特定の人格を伴う個人)」の一言で国民が動くという状況は、ファッショ(自由主義を否定する専制主義)です。そこまで高度な「権威」を個人に認めることは危険だし、日本人のエトスに合致しない。
「天皇」に「個人的人格」はありませんので、天皇の権威はファッショにはなりえません。
今回の僕の投稿をサマライズすると、貴方の投稿に対して過半は同意。
「総理の権威」に関しては、「個人の一言で国が動くほどの権威」を与えることには反対だが、外国人に侮られない程度の「首相の権威」を国民が抱くことは必須、といった所です。
テーマを、愛国論、天皇論へも広げていきましょうか,,,,,,。
これは メッセージ 74773 (jp_ousama さん)への返信です.
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