Re: 恐ろしい事件が起きた
投稿者: topics_jk 投稿日時: 2008/06/08 23:21 投稿番号: [70154 / 85019]
>「全くの虚偽であると認めることはできない」の「全く」を削除して意図的ミスリードを試みる行為には感心しないな。二審判決および最高裁判断と君のロジックを踏まえて、意見を聞きたい。東京日々新聞の記事や、本多勝一の書いた本の内容は、「全く」正しいのかね?
中々のお人かと思ってたが、ただの厨房でしかないね。(笑)
原告は、「うそを書かれ故人を慕う遺族の気持ちを傷つけられた」と当時の新聞報道や、後にこの問題を扱った本多勝一を被告として訴訟を起こしたわけね。
嘘を書かれたと訴えたが、真実ですよと裁判所の判決が出た。それだけの事。
「南京事件を考える」(大月書店)
100人斬りの向井および野田両少尉の判決について、南京裁判の5人の裁判官のうちの一人石 美瑜裁判官のインタビュ−の要約。
1. 私はいま65歳ですが、南京裁判の際、私は5人の裁判官のうちの一人でした。27歳当時、私は上海裁判所の判事でもありました。
2. 私は1948年に蒋介石から私がやった裁判の功績をたたえられて表彰されました。
3. 南京裁判は、裁かれる人間の地位・懐旧には関係なく、事実によって処理されました。確証に重点をおき、証拠があって逃れようのない者だけを有罪にしました。
4. 死体を埋めた「万人塚」という場所を私自身が現場検証もしました。
5. 鈴木明という日本人を私は知りません。『「南京大虐殺」のまぼろし』という本も私は読んでいません。
6. 昨年(1972年)、向井か町田の息子の友人だという人物か、息子本人か、詳しいことは忘れたが、そういう日本人が私を訪ねてきたことは記憶しています。
7. 野田と向井のことについていえば、罪のないものはすべて帰して、この二人が残ったということです。二人は自分たちの手柄について本を書き、その本に写真も載せていた。戦時中に書いたこの本が東京で発見され、マッカ−サ−司令部に駐在していた中国人がそれを報告してきたのです。
8. 証拠がなければ無罪にしたが、証拠は十分であった。日本は、一度復員して帰国していた野田、向井の二人をわれわれに引き渡したのだということを忘れないでください。
9. 裁判の際、私は彼らの本に載っていた写真を示して、「これはおまえか」と聞きました。彼らはこの問いを否定できなかったのです。
10. 殺人については彼らは否定しました。戦争だから人を殺すのは仕方ないのだと二人は主張しました。
11. 二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが、これは明らかに戦争の範囲を逸脱していました。
12. 裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデ−を賭けていたということです。
13. 二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。
14. 昨年私を訪ねてきた息子の友人だという日本人は、「二人は無実だ」と言った。しかし、証拠はあったのだ。南京裁判の全記録をまとめることになっていたが、共産軍の反乱があってそれをまとめることができなかった。
中々のお人かと思ってたが、ただの厨房でしかないね。(笑)
原告は、「うそを書かれ故人を慕う遺族の気持ちを傷つけられた」と当時の新聞報道や、後にこの問題を扱った本多勝一を被告として訴訟を起こしたわけね。
嘘を書かれたと訴えたが、真実ですよと裁判所の判決が出た。それだけの事。
「南京事件を考える」(大月書店)
100人斬りの向井および野田両少尉の判決について、南京裁判の5人の裁判官のうちの一人石 美瑜裁判官のインタビュ−の要約。
1. 私はいま65歳ですが、南京裁判の際、私は5人の裁判官のうちの一人でした。27歳当時、私は上海裁判所の判事でもありました。
2. 私は1948年に蒋介石から私がやった裁判の功績をたたえられて表彰されました。
3. 南京裁判は、裁かれる人間の地位・懐旧には関係なく、事実によって処理されました。確証に重点をおき、証拠があって逃れようのない者だけを有罪にしました。
4. 死体を埋めた「万人塚」という場所を私自身が現場検証もしました。
5. 鈴木明という日本人を私は知りません。『「南京大虐殺」のまぼろし』という本も私は読んでいません。
6. 昨年(1972年)、向井か町田の息子の友人だという人物か、息子本人か、詳しいことは忘れたが、そういう日本人が私を訪ねてきたことは記憶しています。
7. 野田と向井のことについていえば、罪のないものはすべて帰して、この二人が残ったということです。二人は自分たちの手柄について本を書き、その本に写真も載せていた。戦時中に書いたこの本が東京で発見され、マッカ−サ−司令部に駐在していた中国人がそれを報告してきたのです。
8. 証拠がなければ無罪にしたが、証拠は十分であった。日本は、一度復員して帰国していた野田、向井の二人をわれわれに引き渡したのだということを忘れないでください。
9. 裁判の際、私は彼らの本に載っていた写真を示して、「これはおまえか」と聞きました。彼らはこの問いを否定できなかったのです。
10. 殺人については彼らは否定しました。戦争だから人を殺すのは仕方ないのだと二人は主張しました。
11. 二人は夫子廟までの間に「百人斬り」競争をしたと記憶するが、これは明らかに戦争の範囲を逸脱していました。
12. 裁判で明らかになったことのひとつは、「百人斬り」競争に際して、二人はブランデ−を賭けていたということです。
13. 二人の家族にも言ってもらいたいことだが、中国人はこの戦争でおそらく1000万人も死んでいるだろうということだ。もし証拠がなくても処刑できるのだということになれば、日本の軍人はすべて処刑しなければならないということになるだろう。しかし、われわれは報復主義はとらなかったということです。
14. 昨年私を訪ねてきた息子の友人だという日本人は、「二人は無実だ」と言った。しかし、証拠はあったのだ。南京裁判の全記録をまとめることになっていたが、共産軍の反乱があってそれをまとめることができなかった。
これは メッセージ 70151 (chopper8111362 さん)への返信です.
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