偏見外道に渡す引導
投稿者: temporal_aniccaa 投稿日時: 2007/12/16 22:06 投稿番号: [63306 / 85019]
これでも、こころして読みなはれ。
有り難いお経でおます。
スッタニパータ
第四章
十一、争 闘
862、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢と悪口とは、どこから現れ出てきたのですか? これらはどこから起ったもですか? どうか、それを教えてください。」
863、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳みと慢心と傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは慳みに伴い、争論が生じたときに、悪口が起る。」
864、「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にはびこる貪りは何にもとづいて起るのですか。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」
865、「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、それにもとづいて起る。」
866、「さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか? また(形而上学的な)断定は何から起るのですか? 怒りと虚言と疑惑と及び<道の人>(沙門)の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」
867、「世の中で<快><不快>と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅のあることを見て、世の中の人は断定を下す。
868、怒りと虚言と疑惑、……これらのことがらも、(快と不快との)二つがあるときに現れる。疑惑ある人は知識の道に学べ。<道の人>は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」
869、「快と不快とは何にもとづいて起るのですか? また何がないときにこれらのものが現れないのですか? また生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているものを、われに語ってください。」
870、「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官の接触が存在しないときには、これらのものも起らない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官の接触)えお、われは汝に告げる。
871、「世の中で感官による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに、<わがもの>という我執が存在しないのですか? 何ものが消滅したときに、感官による接触がはたらかないのですか?」
872、「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」
873、「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。……わたくしはこのように考えました。」
874、「ありのままに想う者でもなく、誤って想うものでもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。……このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」
875、「われらがあなたにおたずねしたことを、あなたはわれわれに説き明かしてくださいました。われらは別のことをあなたにおたずねしましょう。どうか、それを説いてください。……この世における或る賢者たちは、『この状態だけが、霊(たましい)の最上の清浄の境地である』とわれらに語ります。しかしまた、それよりも以上に、『他の(清浄の境地)がある』と説く人々もいるのでしょうか?」
876、「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに(最上の清浄の境地)と、巧みに語っている
877、かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを熟考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」
L( ` ー ´ )_/☆Ωパォ〜ン♪
正法無常宗祖師 転法(/\)南無一切無常絶対超越真理
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第四章
十一、争 闘
862、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳(ものおし)みと慢心と傲慢と悪口とは、どこから現れ出てきたのですか? これらはどこから起ったもですか? どうか、それを教えてください。」
863、「争闘と争論と悲しみと憂いと慳みと慢心と傲慢と悪口とは愛し好むものにもとづいて起る。争闘と争論とは慳みに伴い、争論が生じたときに、悪口が起る。」
864、「世間において、愛し好むものは何にもとづいて起るのですか。また世間にはびこる貪りは何にもとづいて起るのですか。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、何にもとづいて起るのですか?」
865、「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪りは、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、それにもとづいて起る。」
866、「さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか? また(形而上学的な)断定は何から起るのですか? 怒りと虚言と疑惑と及び<道の人>(沙門)の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」
867、「世の中で<快><不快>と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅のあることを見て、世の中の人は断定を下す。
868、怒りと虚言と疑惑、……これらのことがらも、(快と不快との)二つがあるときに現れる。疑惑ある人は知識の道に学べ。<道の人>は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」
869、「快と不快とは何にもとづいて起るのですか? また何がないときにこれらのものが現れないのですか? また生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているものを、われに語ってください。」
870、「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官の接触が存在しないときには、これらのものも起らない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官の接触)えお、われは汝に告げる。
871、「世の中で感官による接触は何にもとづいて起るのですか? また所有欲は何から起るのですか? 何ものが存在しないときに、<わがもの>という我執が存在しないのですか? 何ものが消滅したときに、感官による接触がはたらかないのですか?」
872、「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、<わがもの>という我執も存在しない。形態が消滅したときには<感官による接触>ははたらかない。」
873、「どのように修行した者にとって、形態が消滅するのですか? 楽と苦とはいかにして消滅するのですか? どのように消滅するのか、その消滅するありさまを、わたくしに説いてください。わたくしはそれを知りたいものです。……わたくしはこのように考えました。」
874、「ありのままに想う者でもなく、誤って想うものでもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。……このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起るからである。」
875、「われらがあなたにおたずねしたことを、あなたはわれわれに説き明かしてくださいました。われらは別のことをあなたにおたずねしましょう。どうか、それを説いてください。……この世における或る賢者たちは、『この状態だけが、霊(たましい)の最上の清浄の境地である』とわれらに語ります。しかしまた、それよりも以上に、『他の(清浄の境地)がある』と説く人々もいるのでしょうか?」
876、「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに(最上の清浄の境地)と、巧みに語っている
877、かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを熟考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」
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これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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