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徒花だったんですか????

投稿者: crona45r361 投稿日時: 2004/12/09 00:25 投稿番号: [5032 / 85019]
調べてみたら・・・(泣き)


明治20年頃、日本の最大の仮想敵国は清国だった。もちろん、朝鮮半島の利権をめぐる対決がその根本原因である。しかし東洋の老大国である清帝国に、貧乏日本は到底たちうちできなかった。その象徴が、清国海軍がほこる装甲艦定遠と鎮遠である。両艦は姉妹艦でドイツ製。排水量7千トンの巨体に250ミリ厚の装甲、そして前後に最新の30センチ・クルップ砲を装備しており、「東洋一の堅艦」と称され、また実際その通りであった。清国との関係が悪化するにつれ、日本海軍には定遠クラスの装甲を貫徹しうるだけの砲を装備した軍艦が一隻もないという現実に、当局者はひとしく危機感を抱いていた。この現状を打破するために計画されたのが松島級である。
といっても、定遠クラスに匹敵するだけの軍艦を建造する財政的な余裕はない。そこで考え出されたのが、中型の防護巡洋艦に新型のカネー式32センチ砲を1門ずつ搭載して3隻をそろえ、とりあえず砲力だけでも定遠クラスを凌駕しようというアイデアだった。このアイデアに基づいて設計を行なったのは、当時日本海軍に招聘されていたフランスの造船官エミール・ベルタンであった。4千トンの船体の前部に32センチの巨砲を1門搭載し、16ノットの高速で定遠クラスを撃滅しようというのである。しかし装甲は通常の防護巡洋艦の防禦が施されたにすぎず、定遠クラスの砲撃をまともにくらえば、敵すべくもなかった。
3隻のうち2隻はフランスで建造されたが、1隻は横須賀工廠で建造された。日本三景にあやかって命名されたため、3隻そろって「三景艦」と呼ばれ親しまれた。まもなく日清戦争の勃発にともない、三景艦は聯合艦隊に編入され、松島は伊東長官の旗艦となって出撃した。やがて黄海北部で清国艦隊と遭遇、三景艦の誕生理由である定鎮、鎮遠との交戦が実現した。これが黄海海戦である。しかしこの海戦では、期待された32センチ砲はまったく期待はずれに終った。4千トンの船体に重たい32センチ砲はやはり無理があり、砲を旋回するとその方角に船体が傾き、発射すると反動で反対に傾くという有り様で、発射弾数は3隻あわせて10発程度に過ぎず、もちろん命中弾は皆無だった。むしろ多数搭載されている速射砲が効果を発揮したという。旗艦松島には定遠の30センチ砲弾が命中し、その威力は一発でこの海戦の戦死者の半分を出したという。しかし全体としては清国海軍に与えた損害は甚大で、以後黄海の制海権は日本の手に帰した。
結局、「三景艦」は日本がまともな手段で清国海軍に対抗できなかった時代の徒花に過ぎなかった。
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