日本民族の冷酷性
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/08/06 14:41 投稿番号: [49212 / 85019]
世界人の「成仏されない朝鮮の方々の亡霊 」の朝5時30分の書き込み
大方の君らには「良心」というものあるんだろう
この書き込みに対しての君らのレスの少なさが物語っている
原爆の図 第14部の「烏」
この図を見たときのある日本人の感想とは
「動くことが出来ませんでした。脚元が怒りでがくがくと震えました。」
そこで描写されているものとは
日本人の残虐性
日本人の非人間性
日本人の残忍性
まるで悪霊に取り付かれたかのような理性を失った民族
見事にこの鳥という絵に
見事に石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」いう文章に表現されている
原爆投下時の広島・長崎での朝鮮人被爆者へ過酷な差別
>>>それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ばカラスがきて食うとよ。どこどこから来たカラスじゃったろうかうんと来とった。カラスが目ん玉ば食いよる。アッアッと思うて見とれば死体が動く。動きよる!
>>>後になって、長崎で傷ついた朝鮮人は、救護班のところで列を作ったのに、日本人ではないことを理由に治療を受けられなかったという話も耳にします
虫けらのように朝鮮の方々の死体を放置し、まともな治療一つ受けられずになくなっていかれた朝鮮人の方々
死んでからも差別されていた朝鮮の方々の亡霊が今年も広島・長崎に現れていることだろう
田舎もんよ!なぜ何万人という朝鮮の方々がこのような残忍で無念な形で広島・長崎で亡くなられたか考えたことあるのかい?
ソース
私の視点−もう一つの拉致(2003年10月19日)
浅井久仁臣
埼玉県東松山市にある『丸木美術館』に行ってきました。ご存知の方も多いと思いますが、故丸木位里・俊夫妻の描いた「原爆の図」が展示されています。10年近く前になりますが、私は一度訪れているのです。その時は心に余裕がなかったのでしょう、この空間の重みが今一つ分かっていなかったようです。今回訪れてみて、丸木夫妻が訴えていたものが、心に素直に入ってきました。特に、第14部の『烏』と題された絵の前では足が止まり、しばらくそこから動くことが出来ませんでした。脚元が怒りでがくがくと震えました。
壁面一杯に広がる大屏風に描かれた図は、原爆が落とされた後、異国の地で命を落とした朝鮮人が放置され、その屍をカラスがついばんでいる光景でした。
丁度一年前、私は多くの人に「僕と朝鮮」と題した一文を読んでいただきました。その中にも書いたのですが、日本の占領下にあった朝鮮半島から日本軍は数十万人の朝鮮人を拉致、中国の炭鉱や前線に送り込んだ場合もありましたが、多くは日本に連れて来て強制労働を強いたのです。その一部は、原爆が落とされた広島や長崎にも連行されてきて被爆していました。
丸木俊さんも広島をたずね歩いていた時、「ひろしまだけで(朝鮮人の)死者は4,500人、韓国に帰った被爆者は15,000人いますよ」という声を聞き衝撃を受けたそうです。後になって、長崎で傷ついた朝鮮人は、救護班のところで列を作ったのに、日本人ではないことを理由に治療を受けられなかったという話も耳にします。その頃俊さんは『朝日ジャーナル』(現在、廃刊)に書かれていた、石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」という文章に出会います。長崎弁でしゃべる朝鮮人からの聞き書きです。
−原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生き残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人は分かるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。
三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電機にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地(じだ)の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃったが、カラスは一番先に長崎に来て、カラスは空から飛んで来るけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ばカラスがきて食うとよ。どこどこから来たカラスじゃったろうかうんと来とった。カラスが目ん玉ば食いよる。アッアッと思うて見とれば死体が動く。動きよる!と思えば蛆(うじ)が動きよるとよ。それで日本人も困ったとじゃろ。臭かったけん−
長崎の三菱造船で、連行されて働かされていた朝鮮人5千人が被爆、即死し、その上死体が放置されていた話は、「死んでからまで差別されていたのか」と俊さんを強く突き動かしました。
http://www.asaikuniomi.com/marukimuseum.htm
大方の君らには「良心」というものあるんだろう
この書き込みに対しての君らのレスの少なさが物語っている
原爆の図 第14部の「烏」
この図を見たときのある日本人の感想とは
「動くことが出来ませんでした。脚元が怒りでがくがくと震えました。」
そこで描写されているものとは
日本人の残虐性
日本人の非人間性
日本人の残忍性
まるで悪霊に取り付かれたかのような理性を失った民族
見事にこの鳥という絵に
見事に石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」いう文章に表現されている
原爆投下時の広島・長崎での朝鮮人被爆者へ過酷な差別
>>>それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ばカラスがきて食うとよ。どこどこから来たカラスじゃったろうかうんと来とった。カラスが目ん玉ば食いよる。アッアッと思うて見とれば死体が動く。動きよる!
>>>後になって、長崎で傷ついた朝鮮人は、救護班のところで列を作ったのに、日本人ではないことを理由に治療を受けられなかったという話も耳にします
虫けらのように朝鮮の方々の死体を放置し、まともな治療一つ受けられずになくなっていかれた朝鮮人の方々
死んでからも差別されていた朝鮮の方々の亡霊が今年も広島・長崎に現れていることだろう
田舎もんよ!なぜ何万人という朝鮮の方々がこのような残忍で無念な形で広島・長崎で亡くなられたか考えたことあるのかい?
ソース
私の視点−もう一つの拉致(2003年10月19日)
浅井久仁臣
埼玉県東松山市にある『丸木美術館』に行ってきました。ご存知の方も多いと思いますが、故丸木位里・俊夫妻の描いた「原爆の図」が展示されています。10年近く前になりますが、私は一度訪れているのです。その時は心に余裕がなかったのでしょう、この空間の重みが今一つ分かっていなかったようです。今回訪れてみて、丸木夫妻が訴えていたものが、心に素直に入ってきました。特に、第14部の『烏』と題された絵の前では足が止まり、しばらくそこから動くことが出来ませんでした。脚元が怒りでがくがくと震えました。
壁面一杯に広がる大屏風に描かれた図は、原爆が落とされた後、異国の地で命を落とした朝鮮人が放置され、その屍をカラスがついばんでいる光景でした。
丁度一年前、私は多くの人に「僕と朝鮮」と題した一文を読んでいただきました。その中にも書いたのですが、日本の占領下にあった朝鮮半島から日本軍は数十万人の朝鮮人を拉致、中国の炭鉱や前線に送り込んだ場合もありましたが、多くは日本に連れて来て強制労働を強いたのです。その一部は、原爆が落とされた広島や長崎にも連行されてきて被爆していました。
丸木俊さんも広島をたずね歩いていた時、「ひろしまだけで(朝鮮人の)死者は4,500人、韓国に帰った被爆者は15,000人いますよ」という声を聞き衝撃を受けたそうです。後になって、長崎で傷ついた朝鮮人は、救護班のところで列を作ったのに、日本人ではないことを理由に治療を受けられなかったという話も耳にします。その頃俊さんは『朝日ジャーナル』(現在、廃刊)に書かれていた、石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」という文章に出会います。長崎弁でしゃべる朝鮮人からの聞き書きです。
−原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生き残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人は分かるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。
三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電機にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地(じだ)の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃったが、カラスは一番先に長崎に来て、カラスは空から飛んで来るけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ばカラスがきて食うとよ。どこどこから来たカラスじゃったろうかうんと来とった。カラスが目ん玉ば食いよる。アッアッと思うて見とれば死体が動く。動きよる!と思えば蛆(うじ)が動きよるとよ。それで日本人も困ったとじゃろ。臭かったけん−
長崎の三菱造船で、連行されて働かされていた朝鮮人5千人が被爆、即死し、その上死体が放置されていた話は、「死んでからまで差別されていたのか」と俊さんを強く突き動かしました。
http://www.asaikuniomi.com/marukimuseum.htm
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