成仏されない朝鮮の方々の亡霊
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/08/06 05:29 投稿番号: [49195 / 85019]
今年も暑い広島の夏がきました
原爆での日本人の比では語られない
虫けらのように亡くなられた朝鮮の方々
総被爆者の2ー3割で占める朝鮮の方々
無念ではありましょうが、天国で安らかにお眠りください
>>>後になって、長崎で傷ついた朝鮮人は、救護班のところで列を作ったのに、日本人ではないことを理由に治療を受けられなかったという話も耳にします。その頃俊さんは『朝日ジャーナル』(現在、廃刊)に書かれていた、石牟礼道子さんの「菊とナガサキ」という文章に出会います。長崎弁でしゃべる朝鮮人からの聞き書きです。
−原爆のおっちゃけたあと一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生き残ったが朝鮮人はちっとしか生残らんじゃったけん、どがんもこがんもできん。死体の寄っとる場所で朝鮮人は分かるとさ。生きとるときに寄せられとったけん。牢屋に入れたごとして。仕事だけ這いも立ちもならんしこさせて。
三菱兵器にも長崎製鋼にも三菱電機にも朝鮮人は来とったとよ。中国人も連れられて来とったとよ。原爆がおっちゃけたあと地(じだ)の上を歩くもんは足で歩くけんなかなか長崎に来っけんじゃったが、カラスは一番先に長崎に来て、カラスは空から飛んで来るけん、うんと来たばい。それからハエも。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ばカラスがきて食うとよ。どこどこから来たカラスじゃったろうかうんと来とった。カラスが目ん玉ば食いよる。アッアッと思うて見とれば死体が動く。動きよる!と思えば蛆(うじ)が動きよるとよ。それで日本人も困ったとじゃろ。臭かったけん−
長崎の三菱造船で、連行されて働かされていた朝鮮人5千人が被爆、即死し、その上死体が放置されていた話は、「死んでからまで差別されていたのか」と俊さんを強く突き動かしました。
ソース
私の視点−もう一つの拉致(2003年10月19日)
浅井久仁臣
http://www.asaikuniomi.com/marukimuseum.htm参考文献:「『丸木俊−女絵かきの誕生』人間の記録19」(日本図書センター)
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