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韓国の「反日」の始祖

投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/11/29 18:35 投稿番号: [4901 / 85019]
1875年に生まれ、父親は李敬善、生涯定職につかず、生計もおぼつかない人間でした。ひまさえあれば、24冊にも及ぶ家系図「族譜」をとりだし、息子にいかに自分の家柄が良いかを説いて自慢するだけ。それを貧しい平屋の朝鮮茅屋の中で繰り返しだけでした。
形だけは、「怠惰で、気位いだけは高い」両班の姿を保っていました。

息子は、当時の朝鮮で普通の事ながら、公称も自称も含め(敬善もそうだったと言われるように族譜は偽造ものが多く、十冊以上のものは殆ど怪しいと言われる)書堂といわれる私塾で四書五経だけを学びました。94年に廃止されるまで、科挙を受け続け、合格して本当の両班になれるよう父親にも厳しく言われましたが、結局合格することはありませんでした。

その後、父親同様定職に就くことを嫌った息子は学費のいらないミッションスクールに入学。学生新聞で愛国的な文章を書き、当時の朝鮮官憲に逮捕されることも。
29歳になっても定職についておらず、朝鮮での人生に見切りをつけ、米国のサトウキビ農場に行く労働者としてハワイに渡りました。この時、朝鮮改革派に接近し、日本の対して米国が対決的に動くよう誓願した密書を運びましたが、相手にされず。ミッションスクールの推薦もあり、「プリンストン、ハーバードなどで学んだ」とされています。

35歳で学生生活に終止符をうち、いったん帰国するも、再び就職を厭い、2年後渡米。米国各地で皿洗いなどをしながら放浪。

20年後、友人らの助けで、米国で国際会議などに出席して朝鮮独立を説いてまわっていました。1920年頃から中国に亡命した朝鮮人らの「上海臨時政府」(中国は、フランス疎開の中に作られた組織として、認めず)に接近し、数年後には「大統領」に推挙されますが、独立と言いながら米国政府に委任統治を請願したり、政策をまったく有していないこと、政府予算の横領などを理由に「弾劾」されて免職。
結局、ハワイに戻り、朝鮮人キリスト教会で宣教師として生活。

これが、50歳までの、後の韓国初代大統領、李承晩の半生です。

1941年に、日米戦を見据えつつ、日本の新聞記事を集めて、反日的な説明をつけた著書「日本の内情」を出版して注目を集めます。
これを機に全米各地で講演し、その趣旨は「日本は西洋と相容れない宗教国家であり、天皇崇拝を精神武装とし、無敵の軍をもって、世界制覇を計画している。その手始めが朝鮮侵略である。アメリカは、朝鮮に戦争物資を与えて援助し、米軍も送って日本と朝鮮で戦うべきである。米国人宣教師らも日本の残酷な迫害を受けている」というものでした。

しかし、国務省は、その米人宣教師達から、李朝時代の朝鮮の惨状、李朝こそキリスト教を残酷に弾圧していたこと、朝鮮社会の惨状、臨時政府の実情、日本による改革について詳細な報告を受けていましたから、まったく李承晩を相手にしませんでした。当時のポール・ニッツらには国務省の廊下を徘徊する不気味な朝鮮人と見られていました。
李承晩もそれは気付いており、大統領になってからも国務省役人の事を「日本人の情報に基づいて朝鮮人を評価している。無能で正義感がない」と、日本のせいにしつつ恨みに思っていたようです。

1945年10月に、悄然と個人として帰国。この時、既に70歳になっていました。

米国務省は相変わらず相手にしていませんでしたが、李承晩は今度は米諜報局に接近し、英語が堪能で米国に住んでいた事とキリスト教宣教師である事、妻も白人で自分は白人同様であると盛んに売り込み、突如「反共」宣教師として、息を吹き返します。
その後は、この掲示板でも何度も書いてきた通り、米国の諜報機関から支援を受けつつ、私設暴力団(白色テロルなどと言いますが)を8個も作り、朝鮮にとどまっていた民族主義者、臨時政府のことをよく知る金九などを次々と暗殺し、また、反対勢力には容赦なく暴力で相対していきます。

暴力と二十万とも三十万ともいわれる殺戮の嵐は朝鮮動乱まで続き、「過去」を知る有力者、篤志家は軒並み消されました。
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