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トピズレ勘弁_(._.)_

投稿者: xxxred_fragmentxxx 投稿日時: 2007/07/25 01:05 投稿番号: [47689 / 85019]
さあ〜壮絶なロマンを感じますか(笑い

信じるのも信じないのも貴方次第です。


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【元宮内大臣田中光顕証言】
  次のような「元宮内大臣田中光顕証言」が、「元宮内大臣田中光顕氏、明治天皇陛下すり替え告白(三浦芳堅著『徹底的に日本歴史の誤謬を糾す』から))」にサイトアップされている。これを転載しておく。
  「斯様申し上げた時に、田中光顕伯爵は顔色蒼然となられ、暫く無言のままであられましたが、やがて、『私は60年来曾って一度も何人にも語らなかったことを、今あなたにお話し申し上げましょう。現在此の事を知っている者は、私の外には、西園寺公望公爵只御一人が生存していられるのみで、皆故人となりました』と前置きされて、

  『実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。孝明天皇はいよいよ大政奉還、明治維新と云う時に急に崩御になり、明治天皇は孝明天皇の皇子であらせられ、御母は中山大納言の娘中山慶子様で、御生れになって以来、中山大納言邸でお育ちになっていたと云う事にして天下に公表し、御名を睦仁親王と申し上げ、孝明天皇崩御と同時に直ちに大統をお継ぎ遊ばされたとなっているが、実は明治天皇は、後醍醐天皇第十一番目の皇子満良親王の御王孫で、毛利家の御先祖、即ち大江氏がこれを匿って、大内氏を頼って長州へ落ち、やがて大内氏が滅びて、大江氏の子孫毛利氏が長州を領有し、代々長州の萩に於て、この御王孫を御守護申し上げて来た。これが即ち吉田松陰以下、長州の王政復古維新を志した勤皇の運動である。

  吉田松陰亡き後、此の勤皇の志士を統率したのが明治維新の元老木戸孝允即ち桂小五郎である。元来長州藩と薩摩藩とは犬猿の間柄であったが、此の桂小五郎と西郷南洲とを引合せて遂に薩長を連合せしめたのは、吾が先輩の土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎である。薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南洲とを引合せて遂に薩長を連合せしめたのは、吾が先輩の土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎である。

  薩長連合に導いた根本の原因は、桂小五郎から西郷南洲に、“我々はこの南朝の御正系をお立てして王政復古するのだ”と云う事を打ち明けた時に、西郷南洲は南朝の大忠臣菊池氏の子孫だったから、衷心より深く感銘して之に賛同し、遂に薩摩藩を尊皇討幕に一致せしめ、薩長連合が成功した。

  明治天皇には明治維新になると同時に、『後醍醐天皇の皇子征東将軍宗良親王のお宮を建立してお祀りせよ』と仰せになり、遠州の井伊谷宮の如きは、明治二年本宮を造営せられ、同五年に御鎮座あらせられ、同六年には官幣中社に列せられた。而して御聖徳に依り、着々として明治新政は進展し、日清、日露の両役にも世界各国が夢想だにもしなかった大勝を博し、日本国民は挙って欽定憲法の通り、即ち明治天皇の御皇孫が永遠に萬世一系の天皇として此の大日本帝国を統治遊ばされると大確信するに至り、然も明治44年南北正閏論が沸騰して桂内閣が倒れるに至った時に於ても、明治天皇は自ら南朝が正統である事を御聖断あらせられ、往来の歴史を訂正されたのである云々』。

  と王政復古明治維新の真相を語り、尚此の外に、岩倉具視卿の活躍や、三條以下七卿落ちの真相や、中山忠光卿の長州落ち等々、詳細に渉ってお話し下さいました」。

  これによれば、田中光顕伯爵は、「実は明治天皇は孝明天皇の皇子ではない。睦仁親王は孝明天皇崩御と同時にただちに即位したとなっているが、じつは、その睦仁親王は暗殺され、これにすり替わった明治天皇は、後醍醐天皇第11番目の息子、満良親王の御王孫で大室寅之祐である」と証言していることになる。明治天皇の血脈を自認している中丸薫・氏はこれを追認している(http: //www3.ocn.ne.jp/~sigikain/meijisyasin.html)とのことである。

http://www.gameou.com/~rendaico/mikiron/nakayamamikikenkyu_40_1_meigitennoco.htm
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