高麗茶碗に見られる日本の美感覚
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/07/14 08:21 投稿番号: [46418 / 85019]
高麗茶碗は本来、当時の李朝時代の人々が日用雑器として使っていたものでした。すなわち、その茶碗でご飯を食べ、汁椀として日常使っていた生活雑器でした。その中でも、井戸茶碗はもっニも粗悪品の雑器といわれていました。井戸茶碗の典型的な鮫肌状の梅花皮(かいらぎ)は、窯の温度が低いため、釉薬が溶けなかった出来損ないと見なされていました。それが日本では、その素朴な器形が、侘び・寂の象徴として高く評価されたのだから面白いですね。
その生活雑器を、安土桃山時代の茶人である千利休の審美眼によって、高麗茶碗の持つ素朴で無作為の美が、日本の茶の湯の侘び・寂の世界で茶道具として見立てて使われ始めました。それまでは、室町時代の書院飾り(武家屋敷の居間兼書斎の称)の世界で、中国の唐物茶碗が主役でした。しかし桃山時代に移り、草庵(小間の茶室)での茶の湯が盛んになるにつれ、高麗茶碗と楽茶碗が主流を占めるようになりました。とりわけ高麗茶碗は、それまでの宋の唐物茶碗にはまったく示されなかった、粗なる器ゆえに土俗的な自然美と、言いようのない個性的な風格を備えていました。それは、陶工たちが美を意識して作ったものでは表せない、無作為によるがゆえに生み出された美であるといえるでしょう。
彼らの心は美醜の二見にわたっていない。美の執着や醜への嫌悪はなく美醜の相対する以前のところで、そえれを越えたところから生み出された美であります。
禅が茶の意に通じるのは実はこのところにあり、これが無比の美を与えるのであります。
この様を寂といい、利休は高麗茶碗の中に禅の説く「無心無作」の美を見出し寂を発見したのであります。ここが高麗茶碗が日本人に愛されつづける所以です。
http://www.asahigallery.com/information/rekisi.htm世界人
この文を読んだとき
目から鱗が落ちました
朝鮮人の日用雑器に無比の美を見出す日本人
「無心無作」の美を見出した日本人
「無作為によるがゆえに生み出された美」を敬愛する日本人
朝鮮美を真に理解できるのは日本人です
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