どれ、久々に
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2007/07/12 16:26 投稿番号: [46207 / 85019]
こすもぽりたん君にレスをつけましょか。
相変わらず、最低限の礼儀を知りませんね。呉善花と呼び捨てにするところが。
で、
>公開手紙
言葉のセンスがありませんね。せめて『公開書簡』とでもしたら?
本題
>朝鮮民族抹消計画
本当に、当時の日本がそれを画策したのであれば、かつてのスペインの如く住民の皆殺し(ジェノサイド)を行い、奴隷を連れてきて、プランテーションとかをやったという確証が欲しいところです。これが帝国主義の本質ですから。勿論、日本はそんなことはしていません。そもそも、ジェノサイドという思想が無いのです。キリスト教がバックにありませんから。その存在を証明すべく戦後出てきて、あんたも乗っかっているのが諸々のでっち上げというわけ。
>日帝はいいこともした」発言
『も』という助詞を使う以上、文法上、悪いこともした。という意味を含みます。確かに個々の事象で、それに該当しうるものはあるでしょう。そして、日本の為の統治というのも認めます。が、えてして国際政治は力関係が大きく作用する。ということだ。約100年前なら尚更だろ。
個々の論点は他の方々が提示していますので、私は資本主義という観点から。あなた、資本主義の急所がまるで判っていませんね。バーナード・マンデヴィル(Bernard Mandeville)に「《蜂の寓話の副題だが》個人の悪徳は公共の利益」【←これとほぼ同義なのが、“しずく垂れ理論(trickle down theory)”か】。マックス・ヴェーバー(Max Weber)「・・・資本主義社会では、その不可避に人間が背負わなければならない闇の部分を資本家が背負う。ゆえに、資本主義が正しく、社会主義は、(闇の部分を自ら手を汚して解決する者がいなくなるから)間違っている」という言葉があります。日本のコリア統治はこの2つの名言に尽きます。言うまでもなく、当時、植民地を持つことは国際法的に全くの合法で、倫理的にも批難されておりません。前述通り、ジェノサイドもありません。
あと、参考までに『民族自決(national self-determination)』という概念について。
1910年当時は存在しません。レーニンが初めて唱え、後に米大統領ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)により、1918年以降、喧伝されて広まり、あたかも国際社会における公理の如く看做されるに至ったのです。
では、1945年に、コリアにそれがあったのか。
その年の8月にソビエトが朝鮮北部に侵入したときに、朝鮮総督府は潔く朝鮮人の手に統治権を委ねるべきと判断。李承晩や金九は国外亡命中だったので、無視して独立政権を作れと言われても無理。ここで、国内の独立運動のリーダーだった、宋鎮禹と呂運亨がスッタモンダの大喧嘩。これが15日の「解放」まで続く。民衆もそれをどのような形で具体化するか知る由もない。
随喜する彼らは、決起して、総督府の統治機構を接収しようとはせず、阿部信行大将や上月良夫中将を射殺して屍体を逆さ吊りにもせず、「日帝」の犯罪を追及する裁判所を設置する動きなど露ほども見られなかったと。
つまり、当時、朝鮮人には、民族自決の意思や能力が無かったということです。日本が認めなかったというわけではありません。
百歩いや万歩譲って、それがあったにしても、行動として顕れることは皆無だったと。
それにしても、こすもぽりたん君の話には、見事なまでに人物が登場してきませんね。ついでに法や宗教も。基本的に登場人物が自分しか居ません。
どうしても日本統治を否定したければ、安藤昌益のように、「万民は直耕せよ」式の原始共産主義的な立場に立たないと、論理的に破綻すると思うがね。というか、既にズタズタか。
参考文献:『これでも国家と呼べるのか』(小室直樹・クレスト社)等
相変わらず、最低限の礼儀を知りませんね。呉善花と呼び捨てにするところが。
で、
>公開手紙
言葉のセンスがありませんね。せめて『公開書簡』とでもしたら?
本題
>朝鮮民族抹消計画
本当に、当時の日本がそれを画策したのであれば、かつてのスペインの如く住民の皆殺し(ジェノサイド)を行い、奴隷を連れてきて、プランテーションとかをやったという確証が欲しいところです。これが帝国主義の本質ですから。勿論、日本はそんなことはしていません。そもそも、ジェノサイドという思想が無いのです。キリスト教がバックにありませんから。その存在を証明すべく戦後出てきて、あんたも乗っかっているのが諸々のでっち上げというわけ。
>日帝はいいこともした」発言
『も』という助詞を使う以上、文法上、悪いこともした。という意味を含みます。確かに個々の事象で、それに該当しうるものはあるでしょう。そして、日本の為の統治というのも認めます。が、えてして国際政治は力関係が大きく作用する。ということだ。約100年前なら尚更だろ。
個々の論点は他の方々が提示していますので、私は資本主義という観点から。あなた、資本主義の急所がまるで判っていませんね。バーナード・マンデヴィル(Bernard Mandeville)に「《蜂の寓話の副題だが》個人の悪徳は公共の利益」【←これとほぼ同義なのが、“しずく垂れ理論(trickle down theory)”か】。マックス・ヴェーバー(Max Weber)「・・・資本主義社会では、その不可避に人間が背負わなければならない闇の部分を資本家が背負う。ゆえに、資本主義が正しく、社会主義は、(闇の部分を自ら手を汚して解決する者がいなくなるから)間違っている」という言葉があります。日本のコリア統治はこの2つの名言に尽きます。言うまでもなく、当時、植民地を持つことは国際法的に全くの合法で、倫理的にも批難されておりません。前述通り、ジェノサイドもありません。
あと、参考までに『民族自決(national self-determination)』という概念について。
1910年当時は存在しません。レーニンが初めて唱え、後に米大統領ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)により、1918年以降、喧伝されて広まり、あたかも国際社会における公理の如く看做されるに至ったのです。
では、1945年に、コリアにそれがあったのか。
その年の8月にソビエトが朝鮮北部に侵入したときに、朝鮮総督府は潔く朝鮮人の手に統治権を委ねるべきと判断。李承晩や金九は国外亡命中だったので、無視して独立政権を作れと言われても無理。ここで、国内の独立運動のリーダーだった、宋鎮禹と呂運亨がスッタモンダの大喧嘩。これが15日の「解放」まで続く。民衆もそれをどのような形で具体化するか知る由もない。
随喜する彼らは、決起して、総督府の統治機構を接収しようとはせず、阿部信行大将や上月良夫中将を射殺して屍体を逆さ吊りにもせず、「日帝」の犯罪を追及する裁判所を設置する動きなど露ほども見られなかったと。
つまり、当時、朝鮮人には、民族自決の意思や能力が無かったということです。日本が認めなかったというわけではありません。
百歩いや万歩譲って、それがあったにしても、行動として顕れることは皆無だったと。
それにしても、こすもぽりたん君の話には、見事なまでに人物が登場してきませんね。ついでに法や宗教も。基本的に登場人物が自分しか居ません。
どうしても日本統治を否定したければ、安藤昌益のように、「万民は直耕せよ」式の原始共産主義的な立場に立たないと、論理的に破綻すると思うがね。というか、既にズタズタか。
参考文献:『これでも国家と呼べるのか』(小室直樹・クレスト社)等
これは メッセージ 46111 (elgfaret さん)への返信です.
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