Re: 韓国
投稿者: xxchotto_toorimasuyoxx 投稿日時: 2007/06/13 16:57 投稿番号: [43890 / 85019]
>この理由を無視し知ろうとしない君らです
お分かりですか?
お言葉ですが、
確かに知らない事がたくさんありますが
知らなかった事と、
無視し、知ろうとしない事とは別と考えています
(無知は罪悪と言う言葉もありますが)
知れば、知るほど嫌いになる気持ちは確かにありましたが
それだけでは無いと思いたい気持ちから
色々な、ナマの声とも思える在日の人たちのブログを彷徨っています。
その中で思うことは、
組織やある特定の思想の基に作られたと思われるサイトなどでは
所謂強制連行についての資料などが出てきますが
ナマの、個人的な声が聞けると思われるサイトにおいては
ほとんど(と言いますか、まだ見つける事が出来ませんが)
強制連行された結果としての祖父母、父母などを持つと言う
在日の人のサイトを見ることが出来ません。
また、通名等につきましても、前カキコのようなものも見られましたが
強制されて云々というよりも、そのほうが双方にとって都合が良いから
(逆にこの事は、そのような風潮がある事も事実でしょうが)
と言う意見もありますし、本名に拘る在日の人も沢山いました。
須く強制と言う表現には疑問を感じます。
日本の社会についての怖さばかりを強調していますが
そのような見方は、片手落ちのように思われます。
逆に考えれば、そのような形でも(本名、通名両方が使える)
受け入れられる日本の柔軟性があるように思えますが?
柔軟性といえば、このような物を見つけました。
(以前、日本の神社は半島起源と言っていたようですが)
>韓国・朝鮮系の諸氏で、日本の神社が祀る神々が朝鮮から来たと主張する人は多い。その理由は至って単純であり、新羅、百済、高麗あるいはそれに由来すると思われる名を冠した神社が多いことによる。これだけで納得する日本人は少なくないのだが、はなはだ飛躍した論理に基づいており、各神社の社伝を見れば、多くの場合、そうでないことがわかる。例えば、大阪市枚方市にある百済王神社の社伝には、「聖武天皇は百済の阿佐王が推古朝に釈迦牟尼像と経典を献上した功を讃え、子孫の百済王氏を寵遇した。そして天平九年(737年)に南典を従三位に叙し、その死を悼み、百済王祠廟と百済寺を建立し一族の霊を祀らせた」とある。つまり、
>渡来人が神社を造って一族郎党を祀っているのではなく、
>日本の支配者の命令で神社が建てられ
>人民に渡来人を神として祀るよう指導したのである
>日本の神社は森羅万象に宿る神々を基層に、時に実在の人を神格化し「合祀する」こともあるので、異国の神を祀るようになっても不思議ではない。
この柔軟性は、時にあいまいとも受け取られる事もありますが
良いものは良い、と言うしなやかさを感じます。
お分かりですか?
お言葉ですが、
確かに知らない事がたくさんありますが
知らなかった事と、
無視し、知ろうとしない事とは別と考えています
(無知は罪悪と言う言葉もありますが)
知れば、知るほど嫌いになる気持ちは確かにありましたが
それだけでは無いと思いたい気持ちから
色々な、ナマの声とも思える在日の人たちのブログを彷徨っています。
その中で思うことは、
組織やある特定の思想の基に作られたと思われるサイトなどでは
所謂強制連行についての資料などが出てきますが
ナマの、個人的な声が聞けると思われるサイトにおいては
ほとんど(と言いますか、まだ見つける事が出来ませんが)
強制連行された結果としての祖父母、父母などを持つと言う
在日の人のサイトを見ることが出来ません。
また、通名等につきましても、前カキコのようなものも見られましたが
強制されて云々というよりも、そのほうが双方にとって都合が良いから
(逆にこの事は、そのような風潮がある事も事実でしょうが)
と言う意見もありますし、本名に拘る在日の人も沢山いました。
須く強制と言う表現には疑問を感じます。
日本の社会についての怖さばかりを強調していますが
そのような見方は、片手落ちのように思われます。
逆に考えれば、そのような形でも(本名、通名両方が使える)
受け入れられる日本の柔軟性があるように思えますが?
柔軟性といえば、このような物を見つけました。
(以前、日本の神社は半島起源と言っていたようですが)
>韓国・朝鮮系の諸氏で、日本の神社が祀る神々が朝鮮から来たと主張する人は多い。その理由は至って単純であり、新羅、百済、高麗あるいはそれに由来すると思われる名を冠した神社が多いことによる。これだけで納得する日本人は少なくないのだが、はなはだ飛躍した論理に基づいており、各神社の社伝を見れば、多くの場合、そうでないことがわかる。例えば、大阪市枚方市にある百済王神社の社伝には、「聖武天皇は百済の阿佐王が推古朝に釈迦牟尼像と経典を献上した功を讃え、子孫の百済王氏を寵遇した。そして天平九年(737年)に南典を従三位に叙し、その死を悼み、百済王祠廟と百済寺を建立し一族の霊を祀らせた」とある。つまり、
>渡来人が神社を造って一族郎党を祀っているのではなく、
>日本の支配者の命令で神社が建てられ
>人民に渡来人を神として祀るよう指導したのである
>日本の神社は森羅万象に宿る神々を基層に、時に実在の人を神格化し「合祀する」こともあるので、異国の神を祀るようになっても不思議ではない。
この柔軟性は、時にあいまいとも受け取られる事もありますが
良いものは良い、と言うしなやかさを感じます。
これは メッセージ 43841 (elgfaret さん)への返信です.
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