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Re: こんばんは桃太郎さん。

投稿者: attoko12345 投稿日時: 2007/06/09 23:45 投稿番号: [43654 / 85019]
任文桓が受けたのは要するに養蚕の実習で、春から秋にかけて繭を取り、冬には絹糸をつむぎ、販売する。
14歳の年に錦山公立簡易学校を卒業した。
彼は京都へ渡り、精錬所に勤めた。
精錬所には朝鮮人の李どんが同年の日本人を余すところなくこき使い、
支配民族と被支配民族の対峙がない。
任文桓は精錬所で働いたあと、新聞配達、人力人夫、牛乳配達をしながら予備校へ通い、同志社中学へ入学した。
しかし、1学期の授業料、16円が払えず、姓名が学内に掲示された。

いつものように人力車を引き、牛乳配達をして、夕べの残り飯に水道水をかけて書き込んだが、学校へは行けなかった。
同宿の朝鮮人に慰められたが、どうにもならなかった。
故郷恋しさが募るが、人や世間をうらむ気持ちはさらになく、泣くこともなかった。

このとき彼を救ったのは京都大学の同胞だが、その後、岡山でも東京でも彼の域が耐えようとするとき、軌跡のごとく救援が現れる。
2学期は同志社中学の教諭会が授業料免除し、卒業までよき友と師に恵まれた。
中学の担任であった原忠雄の好意で京都府立大学教授の庭園および室内清掃夫として雇われ、住み込みでつき10円の給料を得て、高校を卒業。

後、任文桓は東京帝国大学を卒業、高等文官試験を合格し、半島を出ること17年後に郡守として京幾道に赴任して、かつて習った養蚕に取り組むことになる。

1945年8月、彼は親日民族反逆者として罪を待つ身となった。
体制化にあって、身を挺して同胞の利益を心がけた、といってみても聞き入れられる時勢ではなかった。
その事実を知っていても証言してくれる勇気ある人は一人も出てこなかった。
独立後、任文桓は農林部長を歴任するが、1952年、日本を訪問し、かつての師、恩を受けた京都府府立大学教授夫妻を訪問し、恩に報いている。
任文桓はこう思う、日本に流れ着いた鮮人に親切にも手を貸し、教育してやった日本人は無駄骨を折った馬鹿だったのだろうか。
彼の住んでいる韓国にはこれほど心に刻まれ、青春時代を思いで懐かしい人は一人もいないというのに。

晩年、金山で息子とホテルを経営し、自宅の応接まで東南の海を見る。
日本領の対馬が「海上の庭園のように空に浮いている」
あれが自分たちのものだったらな、と思うにつけ、祖先のふがいなさがたまらなく悔しく思われるほど美しい島である。

韓国ナショナリズムの不幸    鄭大均   小学館文庫     より
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