金弘集も李完用も今だに浮かばれない(苦笑
投稿者: shoukikaina_to 投稿日時: 2007/05/30 18:37 投稿番号: [42972 / 85019]
>日本の韓国併合の第一理由は日本の安全保障だったんでしょう
日本が韓国をものにしなければロシアが構えていたからです
決して朝鮮の近代化や朝鮮人を貧困から救うための併合でないのです<
当たり前だな。
朝鮮を併合した方が金はかからないし、九州や日本海の安全が確保できる。
そして! 日本が日清戦争で折角、清の属国から解放してやって、独立させてやったのに、それを台無しにしたのは、朝鮮の高宗だろ?
ロシアに売国するのを反対していた忠臣や首相を、ゴロツキ達に命じて、首都の路上で、リンチさせてなぶり殺しにし、そのまま数週間も放置した。そこが出発点だろ?
>高宗は皇太子とともにロシア公使館に逃れ、ロシアの海兵隊に守られて、みずから任命した金弘集首相以下、開化派反ロシア党の臣僚を惨殺させた。このとき朝鮮の独立は失われている。
朝鮮人は外国権力の責任を追及するが、外国が非道だから国が滅びざるを得ないというのではそもそも独立を保てない。むしろ、朝鮮内部の亡国理由を鋭く直視すべきではないか。<
そうやって、折角、日本がくれてやった独立もなくし、恩人の日本も危機に陥れた愚か者が朝鮮、朝鮮人なんだろ?
>1896年1月、ロシア公使ウェーベルに吹き込まれた高宗は、ロシア公使館に逃げ込んで(「露館播遷」)、自国の首相らのリンチ殺害を命令。愛国的な金弘集首相は、堂々と「朝鮮人のために殺されるのも天命である」として避難することを潔しとしなかった。数時間もリンチされ、撲殺された。遺体は市中を引き回され、ボロ布のように扱われ、蹴られ、小便までかけられた。
彼の死後、朝鮮は親露政権がたてられた。しかしそれは事実上ロシアの傀儡政権であり、日本は安全保障上の危機感を募らせ、日露戦争の遠因となった。<
>ロシア公使館にはいると、即座に警務官、安桓を呼びつけ、全然罪のない金弘集総理大臣、鄭秉夏・農相工部大臣、兪吉濬・内務大臣、趙義淵、張博(らの五大臣を、逆賊として捕殺するよう命じた。
金弘集は、これまで国歩困難な時には、必ず登用された精錬にして有能な政治家でした。
「雨天の下駄(雨天の時には必要となる)」と評され、首相も四度努めました。
彼は明治十年頃、来日して各地を見学したことがあります。
日本較べて、自国の未開度に嫌気がさし、途中で見学を中止して帰国したほどの人物でした。
このような理不尽な命令を聞いた金は「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で死を賜うことも天命である」として、従容として、警官と群衆によって惨殺された。
数人は危機一髪で日本軍守備隊の中に逃げ込むことができましたが、農商工務大臣・鄭秉夏は群衆によって惨殺され、その屍体も鐘路に放置されたまま、群衆の投石を受け、数日間にわたって風雨にさらされた。
急を聞いて日本軍も駆けつけ、金首相に難を避けるように勧めました。
しかし、首相は
「自分はいやしくも朝鮮国の総理大臣である。
朝鮮人のために殺されるのも天命である。
他国人に救われるのは自分の面目ではない」
と、決然として拒否して殺されました。
時に五十四歳でした。
遺体は、市中を引き回され、ズタズタにして、さらし首にされました。
彼は、親日派を超えて、独立国の宰相であることを、死を持って示したのでした。
(日韓併合後、金弘集の遺族に対して、明治天皇から金一万円が下賜された)
正当な理由もなく、裁判もなく行われたこの暴挙に対し、ロシア公使も高宗に抗議したほどだった。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/gakan.html
そして、どうにもならくなって、行き詰まり、
> 「網も張る前に魚が飛び込んできた」−−。
1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。
それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。
この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
総理大臣の李完用の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙が密使として動いたのだ。
これを理由に、李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。
それは醜態以外のなにものでもない。親日派とは、人に対する悪口でなく「我々」を映す恐ろしい鏡なのだ。
http://japanese.
日本が韓国をものにしなければロシアが構えていたからです
決して朝鮮の近代化や朝鮮人を貧困から救うための併合でないのです<
当たり前だな。
朝鮮を併合した方が金はかからないし、九州や日本海の安全が確保できる。
そして! 日本が日清戦争で折角、清の属国から解放してやって、独立させてやったのに、それを台無しにしたのは、朝鮮の高宗だろ?
ロシアに売国するのを反対していた忠臣や首相を、ゴロツキ達に命じて、首都の路上で、リンチさせてなぶり殺しにし、そのまま数週間も放置した。そこが出発点だろ?
>高宗は皇太子とともにロシア公使館に逃れ、ロシアの海兵隊に守られて、みずから任命した金弘集首相以下、開化派反ロシア党の臣僚を惨殺させた。このとき朝鮮の独立は失われている。
朝鮮人は外国権力の責任を追及するが、外国が非道だから国が滅びざるを得ないというのではそもそも独立を保てない。むしろ、朝鮮内部の亡国理由を鋭く直視すべきではないか。<
そうやって、折角、日本がくれてやった独立もなくし、恩人の日本も危機に陥れた愚か者が朝鮮、朝鮮人なんだろ?
>1896年1月、ロシア公使ウェーベルに吹き込まれた高宗は、ロシア公使館に逃げ込んで(「露館播遷」)、自国の首相らのリンチ殺害を命令。愛国的な金弘集首相は、堂々と「朝鮮人のために殺されるのも天命である」として避難することを潔しとしなかった。数時間もリンチされ、撲殺された。遺体は市中を引き回され、ボロ布のように扱われ、蹴られ、小便までかけられた。
彼の死後、朝鮮は親露政権がたてられた。しかしそれは事実上ロシアの傀儡政権であり、日本は安全保障上の危機感を募らせ、日露戦争の遠因となった。<
>ロシア公使館にはいると、即座に警務官、安桓を呼びつけ、全然罪のない金弘集総理大臣、鄭秉夏・農相工部大臣、兪吉濬・内務大臣、趙義淵、張博(らの五大臣を、逆賊として捕殺するよう命じた。
金弘集は、これまで国歩困難な時には、必ず登用された精錬にして有能な政治家でした。
「雨天の下駄(雨天の時には必要となる)」と評され、首相も四度努めました。
彼は明治十年頃、来日して各地を見学したことがあります。
日本較べて、自国の未開度に嫌気がさし、途中で見学を中止して帰国したほどの人物でした。
このような理不尽な命令を聞いた金は「私がこの国の内閣総理大臣として、全力を尽くした上で死を賜うことも天命である」として、従容として、警官と群衆によって惨殺された。
数人は危機一髪で日本軍守備隊の中に逃げ込むことができましたが、農商工務大臣・鄭秉夏は群衆によって惨殺され、その屍体も鐘路に放置されたまま、群衆の投石を受け、数日間にわたって風雨にさらされた。
急を聞いて日本軍も駆けつけ、金首相に難を避けるように勧めました。
しかし、首相は
「自分はいやしくも朝鮮国の総理大臣である。
朝鮮人のために殺されるのも天命である。
他国人に救われるのは自分の面目ではない」
と、決然として拒否して殺されました。
時に五十四歳でした。
遺体は、市中を引き回され、ズタズタにして、さらし首にされました。
彼は、親日派を超えて、独立国の宰相であることを、死を持って示したのでした。
(日韓併合後、金弘集の遺族に対して、明治天皇から金一万円が下賜された)
正当な理由もなく、裁判もなく行われたこの暴挙に対し、ロシア公使も高宗に抗議したほどだった。
http://toron.pepper.jp/jp/20cf/nisshinro/gakan.html
そして、どうにもならくなって、行き詰まり、
> 「網も張る前に魚が飛び込んできた」−−。
1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。
それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。
この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。
総理大臣の李完用の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙が密使として動いたのだ。
これを理由に、李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。
それは醜態以外のなにものでもない。親日派とは、人に対する悪口でなく「我々」を映す恐ろしい鏡なのだ。
http://japanese.
これは メッセージ 42921 (elgfaret さん)への返信です.
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