反日を国是としている
投稿者: tokagenoheso 投稿日時: 2007/05/29 23:36 投稿番号: [42910 / 85019]
のは特亜3国共通だが、中国の場合、したたかな計算の上、韓国はただの感情論、北朝鮮は論ずるにあたわず。
要するに、韓国は馬鹿の一言につきる。
ただし、一般の韓国人が日本人より生物学的に劣るとか、韓国人がすべてだめなどと言うことではない。分かり切ったことだが、これを混同する連中が居るので、蛇足とは知りながら最初に断っておく。
日本には古来いろいろな人々が移り住んできて定住した国だ。地理的条件から、半島経由で日本に住み着いた人が大勢いるだろう。私の祖先にしてからがどこから来たのは分かっているわけではないし、半島出身者が大勢居たと考えるのが自然だろう。そして、そのことにつき、私は全く意に介さない。
どこから来ようと、この日本の地で長年かけて日本文化をはぐくみ、価値観を共有し、日本民族となったのだ。
そして、その歴史を半島と比べると、あまりの運命の差に愕然とする。日本はたぐいまれなる穏やかで恵まれた自然に恵まれ、外敵にさらされることもなく、まったく自然に発展してきた。たまに内戦はあったが、欧米、アジア諸外国の戦争に比べれば子供の喧嘩くらいの規模でしかない。内戦で最大のものと言えば関ヶ原の戦いくらいだろうが、せいぜい双方20万の戦いで戦死者は数万、戦いは反日で終わり、近郊の百姓たちが弁当持参で見物に来ている。
戦が済んでから負けた方を奴隷にするなどはもってのほか、家臣領民を安堵することを条件に責任者だけが処刑されておしまい。
こんな歴史を持っている日本では、信義が第一の価値とされ、為替が世界で最初に考案されて、もし約定に違わば、満場の前にてお笑い下されてもやむなし、というような証文が交わされるような国だった。米相場が立ち先物買いが成り立ち得たのも、損をした方がたとえ破産をしてもきちんと支払いをする、という前提があったからだ。為替にしても、信義を守ることが前提であり、信用を失うことは命を失うよりも面目ないことだったわけだ。
一方、韓中は常に外敵にさらされ、内戦に明け暮れ、権力者は庶民から絞り虎なければ存続が出来ず、結局は生きるためにはその場その場を切り抜け留ことしかできなかった地勢的な条件があった。
同じ人間であり、出目も同じと思われる日、中、韓の文化を見ると、なぜこうも結果が違うのかがわかる。考えてみれば、日本は信じられないほど幸運だったのだ。世界史は常に侵略と戦争と虐殺の連続であり、日本はほとんどあり得ない例外、それも幸運な例外だったと思わざるを得ない。
信義を第一とする日本人が、とにかく生き抜くためには何をしても許されるとする中韓人と遭遇したとき何が起きたかは想像に難くない。なにしろ、今になってやっと信義とは世界では紙切れ同様の価値しかないのだと日本は理解し始めたのだから。
今、世界で言われる信義とは、国益に反しない限り、という条件付なのであり、もう少し日本は学ぶ必要があるのだろう。
しかし21世紀の今、侵略、戦争、騙し合いの世界ではなくなったが、染みついた価値観は抜けない。今までの価値観を中韓に改めろと言ってもおそらくむりだろうし、今更180度変えることは出来ないだろう。180度転換のショックに耐えられるとは思えない。
結局、中韓は今のままでゆけるところまでゆき、矛盾に耐えられなくなって消滅するしかないと考えられる。一方、日本の価値観は後追いで世界標準になってきている。世界の流れを見ればそれは疑いもない事実だ。従って、特亜と日本の差は開く一方だろう。
要するに、韓国は馬鹿の一言につきる。
ただし、一般の韓国人が日本人より生物学的に劣るとか、韓国人がすべてだめなどと言うことではない。分かり切ったことだが、これを混同する連中が居るので、蛇足とは知りながら最初に断っておく。
日本には古来いろいろな人々が移り住んできて定住した国だ。地理的条件から、半島経由で日本に住み着いた人が大勢いるだろう。私の祖先にしてからがどこから来たのは分かっているわけではないし、半島出身者が大勢居たと考えるのが自然だろう。そして、そのことにつき、私は全く意に介さない。
どこから来ようと、この日本の地で長年かけて日本文化をはぐくみ、価値観を共有し、日本民族となったのだ。
そして、その歴史を半島と比べると、あまりの運命の差に愕然とする。日本はたぐいまれなる穏やかで恵まれた自然に恵まれ、外敵にさらされることもなく、まったく自然に発展してきた。たまに内戦はあったが、欧米、アジア諸外国の戦争に比べれば子供の喧嘩くらいの規模でしかない。内戦で最大のものと言えば関ヶ原の戦いくらいだろうが、せいぜい双方20万の戦いで戦死者は数万、戦いは反日で終わり、近郊の百姓たちが弁当持参で見物に来ている。
戦が済んでから負けた方を奴隷にするなどはもってのほか、家臣領民を安堵することを条件に責任者だけが処刑されておしまい。
こんな歴史を持っている日本では、信義が第一の価値とされ、為替が世界で最初に考案されて、もし約定に違わば、満場の前にてお笑い下されてもやむなし、というような証文が交わされるような国だった。米相場が立ち先物買いが成り立ち得たのも、損をした方がたとえ破産をしてもきちんと支払いをする、という前提があったからだ。為替にしても、信義を守ることが前提であり、信用を失うことは命を失うよりも面目ないことだったわけだ。
一方、韓中は常に外敵にさらされ、内戦に明け暮れ、権力者は庶民から絞り虎なければ存続が出来ず、結局は生きるためにはその場その場を切り抜け留ことしかできなかった地勢的な条件があった。
同じ人間であり、出目も同じと思われる日、中、韓の文化を見ると、なぜこうも結果が違うのかがわかる。考えてみれば、日本は信じられないほど幸運だったのだ。世界史は常に侵略と戦争と虐殺の連続であり、日本はほとんどあり得ない例外、それも幸運な例外だったと思わざるを得ない。
信義を第一とする日本人が、とにかく生き抜くためには何をしても許されるとする中韓人と遭遇したとき何が起きたかは想像に難くない。なにしろ、今になってやっと信義とは世界では紙切れ同様の価値しかないのだと日本は理解し始めたのだから。
今、世界で言われる信義とは、国益に反しない限り、という条件付なのであり、もう少し日本は学ぶ必要があるのだろう。
しかし21世紀の今、侵略、戦争、騙し合いの世界ではなくなったが、染みついた価値観は抜けない。今までの価値観を中韓に改めろと言ってもおそらくむりだろうし、今更180度変えることは出来ないだろう。180度転換のショックに耐えられるとは思えない。
結局、中韓は今のままでゆけるところまでゆき、矛盾に耐えられなくなって消滅するしかないと考えられる。一方、日本の価値観は後追いで世界標準になってきている。世界の流れを見ればそれは疑いもない事実だ。従って、特亜と日本の差は開く一方だろう。
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