真実
投稿者: xsekitori 投稿日時: 2004/11/06 16:29 投稿番号: [3976 / 85019]
創氏改名」というと、韓国人にとっては非常に屈辱的なできごとだったとして、また、日本人にとっても朝鮮統治最大の失敗として理解されているようです。
しかし、調べてみると、どうやらそうではないようで、これはもともと朝鮮総督府の意志で始めたわけではなく、朝鮮人が熱烈に望んで始まったことだったようです。
どういうことかと言いますと、当時日本は列強の一つだったので、海外に出たら白人並の待遇を受けていた。けれども、朝鮮人は相手にされなかった。満州で朝鮮人が馬鹿にされていたというのはよく知られている話です。
そういう時代背景があって、「名前だけでも日本人の名前を使わせてくれ」という陳情が当時朝鮮総督だった南次郎大将のもとに殺到したわけです。 それがあまりにも頻繁に続くので、1940(昭和15)年に創氏改名が許されたんです。
1939(昭和14)年10月22日付の総督府官報を見ると、半年に限って希望するものは創氏改名を許可する。半年経っても届け出ないものは従来通り。つまり、希望者だけの申告制であることがはっきりと明記されています。
当時の朝日新聞を読むと、法令が出るともう喜んで喜んで一門を集めて会議を開いている。うちは一つこういう姓にしようではないか、一門は一門で統一しておこう、というふうな様子が書かれている。
ところが、朝鮮の三千数百の邑・面(町村)の面長(村長)は当時全て朝鮮人でした。道知事や府伊(市長)には朝鮮人と日本人が半々くらいでしたが、特に農村部の面長たちは、自分の手柄にしようと申請したケースもあったわけです。
「総督府閣下が有り難い法令を出してくれたから、わが村の者に言ったところ、皆こぞってやりますというので申告に来ました」という具合に。
今、批判されているのはそういう残念なケースがものすごく誇張されている話です。
しかし、それでも結局、創氏改名したのは8割弱で、2割ぐらいは以前のまま、すなわち朝鮮名で通したようです。
そのなかには、「朝鮮人将校が日本人兵士を率いて戦った」ということで有名な洪思翌中将の例もあります。かれも、創氏改名しなかったわけですが、何もそのことで不利益は蒙っていないわけです。「創氏改名」が強制ではなかったことの証明です。
しかし、調べてみると、どうやらそうではないようで、これはもともと朝鮮総督府の意志で始めたわけではなく、朝鮮人が熱烈に望んで始まったことだったようです。
どういうことかと言いますと、当時日本は列強の一つだったので、海外に出たら白人並の待遇を受けていた。けれども、朝鮮人は相手にされなかった。満州で朝鮮人が馬鹿にされていたというのはよく知られている話です。
そういう時代背景があって、「名前だけでも日本人の名前を使わせてくれ」という陳情が当時朝鮮総督だった南次郎大将のもとに殺到したわけです。 それがあまりにも頻繁に続くので、1940(昭和15)年に創氏改名が許されたんです。
1939(昭和14)年10月22日付の総督府官報を見ると、半年に限って希望するものは創氏改名を許可する。半年経っても届け出ないものは従来通り。つまり、希望者だけの申告制であることがはっきりと明記されています。
当時の朝日新聞を読むと、法令が出るともう喜んで喜んで一門を集めて会議を開いている。うちは一つこういう姓にしようではないか、一門は一門で統一しておこう、というふうな様子が書かれている。
ところが、朝鮮の三千数百の邑・面(町村)の面長(村長)は当時全て朝鮮人でした。道知事や府伊(市長)には朝鮮人と日本人が半々くらいでしたが、特に農村部の面長たちは、自分の手柄にしようと申請したケースもあったわけです。
「総督府閣下が有り難い法令を出してくれたから、わが村の者に言ったところ、皆こぞってやりますというので申告に来ました」という具合に。
今、批判されているのはそういう残念なケースがものすごく誇張されている話です。
しかし、それでも結局、創氏改名したのは8割弱で、2割ぐらいは以前のまま、すなわち朝鮮名で通したようです。
そのなかには、「朝鮮人将校が日本人兵士を率いて戦った」ということで有名な洪思翌中将の例もあります。かれも、創氏改名しなかったわけですが、何もそのことで不利益は蒙っていないわけです。「創氏改名」が強制ではなかったことの証明です。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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