百済は今の朝鮮人とは何の関係もない!
投稿者: waracchauyo5 投稿日時: 2007/04/14 21:24 投稿番号: [38779 / 85019]
>何を偉そうなことぬかす
百済と無関係な朝鮮?朝鮮人?
ハイハイ
妄想論でも自己満足だったらよし<
>自分の意見に自信あるんなら
広めろよ
ブログでも書け
検索結果に出るように努力くらいしなさい<
奈良、室町、江戸の件は、あんたのどのブログに書いてあるんだ?
今の日本人と関係ない?
どこの史書に書いてあるんだ?(大笑)
広めろよ、ノーベル賞めざせ!(はははは!
百済の件は、あんたが引用したWikiに書いてあるじゃないか。広める必要がどこにある?
広まるもなにも、自分で引用しただろ?(自爆か?笑)
>扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のこと。
扶余は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に接する、方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に住んでいた。
に百済王家も扶余系とみられ、南扶余と国号を自称していた時代がある。また、百済王の姓も扶余または余と名乗っている。<
>中国歴史書には「百済は支配層と民衆の言語が違う」とも、「住民の多くが中国人や倭人」とも、「倭人が頗る多い」とも記されている。
百済王族は扶余姓を名乗り、後に中国風に余と1文字に略した。
百済王家の子孫で日本の朝廷に仕えた者に与えられた氏姓である「百済王」も「くだらのこにきし」と呼ばれていた。<
そして、王族、貴族は、まず、一人残らず、国が滅ぶ時に百済を去った。日本書紀にそう書いてある。
しかも、国が滅ぼされた時に、最後に逃げ遅れた僅かな王族、貴族は、皆殺しにされて、一人も残らなかったとも中国側の史書にある。唐軍も百済関係者はさがしだして、ことごとく殺したと。
つまり、「百済」を名乗った王族、貴族はいなくなった。
元は満州族で、大陸からきた百済の王、貴族は、僅かに3世紀程度しかそこにおらず、朝鮮半島の他の国と全然交わらず、最後に朝鮮半島を捨て、残らなかった。倭に逃れた。
満州系の言語だから、元々、高句麗から逃れた王族、貴族だけで逃げてきた。
そして、国民の殆どは、当時の中国人と日本人で、「倭人が百人から百二十人乗れる大型船を持っていたので、それで大陸側と交流していた」と宋書の前の中国の史書には幾つか書いている。
今の朝鮮語は、満州語の影響はさらさらない。
そりゃ、現地でも奴隷や、流入民は、いくらか国民としていたかも知れないが、そんなものは、逃げてきた百済の貴族、王族と関係ない。
民衆と支配者が言語が違う。
紛れもなく、それが事実。
関係あるというのなら、どこの史書にそう書いてあるのか、教えてくれ(笑)。
また、倭人と当時の中国人は、自由に往き来し、同じ場所に住み、交流していた。
今の朝鮮人は、朝鮮半島に存在していないが、いたとしても、文化の伝搬に関わる余地はない。
これを否定する史書があるなら、教えてくれよ。
うろたえないで、奈良の件も教えてくれよ(大笑)。
百済と無関係な朝鮮?朝鮮人?
ハイハイ
妄想論でも自己満足だったらよし<
>自分の意見に自信あるんなら
広めろよ
ブログでも書け
検索結果に出るように努力くらいしなさい<
奈良、室町、江戸の件は、あんたのどのブログに書いてあるんだ?
今の日本人と関係ない?
どこの史書に書いてあるんだ?(大笑)
広めろよ、ノーベル賞めざせ!(はははは!
百済の件は、あんたが引用したWikiに書いてあるじゃないか。広める必要がどこにある?
広まるもなにも、自分で引用しただろ?(自爆か?笑)
>扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のこと。
扶余は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に接する、方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に住んでいた。
に百済王家も扶余系とみられ、南扶余と国号を自称していた時代がある。また、百済王の姓も扶余または余と名乗っている。<
>中国歴史書には「百済は支配層と民衆の言語が違う」とも、「住民の多くが中国人や倭人」とも、「倭人が頗る多い」とも記されている。
百済王族は扶余姓を名乗り、後に中国風に余と1文字に略した。
百済王家の子孫で日本の朝廷に仕えた者に与えられた氏姓である「百済王」も「くだらのこにきし」と呼ばれていた。<
そして、王族、貴族は、まず、一人残らず、国が滅ぶ時に百済を去った。日本書紀にそう書いてある。
しかも、国が滅ぼされた時に、最後に逃げ遅れた僅かな王族、貴族は、皆殺しにされて、一人も残らなかったとも中国側の史書にある。唐軍も百済関係者はさがしだして、ことごとく殺したと。
つまり、「百済」を名乗った王族、貴族はいなくなった。
元は満州族で、大陸からきた百済の王、貴族は、僅かに3世紀程度しかそこにおらず、朝鮮半島の他の国と全然交わらず、最後に朝鮮半島を捨て、残らなかった。倭に逃れた。
満州系の言語だから、元々、高句麗から逃れた王族、貴族だけで逃げてきた。
そして、国民の殆どは、当時の中国人と日本人で、「倭人が百人から百二十人乗れる大型船を持っていたので、それで大陸側と交流していた」と宋書の前の中国の史書には幾つか書いている。
今の朝鮮語は、満州語の影響はさらさらない。
そりゃ、現地でも奴隷や、流入民は、いくらか国民としていたかも知れないが、そんなものは、逃げてきた百済の貴族、王族と関係ない。
民衆と支配者が言語が違う。
紛れもなく、それが事実。
関係あるというのなら、どこの史書にそう書いてあるのか、教えてくれ(笑)。
また、倭人と当時の中国人は、自由に往き来し、同じ場所に住み、交流していた。
今の朝鮮人は、朝鮮半島に存在していないが、いたとしても、文化の伝搬に関わる余地はない。
これを否定する史書があるなら、教えてくれよ。
うろたえないで、奈良の件も教えてくれよ(大笑)。
これは メッセージ 38776 (elgfaret さん)への返信です.
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