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百済は、朝鮮とは縁もゆかりもない国だが?

投稿者: waracchauyo5 投稿日時: 2007/04/14 13:21 投稿番号: [38726 / 85019]
朝鮮人は、在日も本国の人間も、泣き所は歴史。

捏造と妄想ばかりだから、歴史を知らない。
百済は、今の朝鮮人とは、何の関係もない。しかも、元々は、満州にいた扶余が、高句麗との戦争に敗れて、海路、半島西部の狭い一地域に住みついただけ。

言語も、まったく違った事は、当時の中国の史書なら、すべて、そう書かれており、百済国内も、当時の中国の人間、日本の人間で溢れていたと書かれている。
つまり、当時から、半島系の現地人は入れないような国だった。

占領国家だったため、基盤が弱く、300年程度しか存在しておらず、その期間の殆どを倭の支援で成立していた事は、中国側、日本側の史書には必ず書かれている。

要するに、中国人と日本人ばかりが目立つ、そして、残りは満州人という、旧満州のような国家で、いわゆる「朝鮮人」(当時、存在しないが)には、縁もゆかりもない国、民族。


>百済(くだら、ひゃくさい)は、古代の朝鮮半島南西部にあった国家(前18年? - 660年、もしくは346年 - 660年)。半島北部から中国東北地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅、半島南部の伽耶諸国とあわせて、百済の存在した時代を朝鮮半島における三国時代という。

扶余の東明王の後裔である扶余王尉仇台が高句麗に国を滅ぼされ、百の家族を伴って済海(海を渡る)し、帯方郡の地に国を建てた。それが「百済(伯済)」の語源となった。元の国は高句麗内にあったというが、かつての扶余のこと。

扶余は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に接する、方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に住んでいた。
に百済王家も扶余系とみられ、南扶余と国号を自称していた時代がある。また、百済王の姓も扶余または余と名乗っている。


中国歴史書には「百済は支配層と民衆の言語が違う」とも、「住民の多くが中国人や倭人」とも、「倭人が頗る多い」とも記されている。


百済王族は扶余姓を名乗り、後に中国風に余と1文字に略した。

百済王家の子孫で日本の朝廷に仕えた者に与えられた氏姓である「百済王」も「くだらのこにきし」と呼ばれていた。

滅亡とともに、満州系扶余族の貴族、王族(200〜300人らしい)は、全員、日本に避難したので、血族としても、朝鮮には百済の血は、一滴も残されなかった。

要するに、初めから終わりまで、そして、現在に至るまで、百済と朝鮮は、何の関係もない。
高句麗との敗戦後、居留地として、朝鮮半島西部に3世紀ほど滞在したというにすぎない。
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