Re: 昭和天皇陛下
投稿者: publicopinion100 投稿日時: 2007/04/12 01:21 投稿番号: [38480 / 85019]
>昭和天皇陛下の、背中に一本棒を入れたような立ち姿に、日本の中心柱であろうとする姿を見た気がする。
なかなか日本人の心を打つ文章ですな。
それが君主たるゆえんの姿であり、そのようになるよう帝王学を授かってきたし、また実直な性格のお方であったと聞く。
敗戦後、マッカサーのところに出向いた天皇は、「この戦争の責任はすべて自分が負う」旨の話をしたことが、マッカーサー回顧録にも載っている。
勝者に対して敗者の責任者として、潔き姿だが、肝心の日本国民に対しては、どうだったのか?
A級戦犯が合碑されるまでは、昭和天皇は靖国神社に参拝していた自分のために数多くの日本人が命を捧げてくれたかつての君主として当然と思うが、その姿をずっと日本人に示してくれたなら、「天皇陛下、もう充分ではないですか」の一言を私も言ったことだろう。
しかしA級戦犯が合碑されてからは、はたと中断された。祭られたA級戦犯の中に天皇の意に反して開戦を推進した者がいたから、あるいはA級戦犯への参拝を強硬に反対する近隣諸国への配慮したためと言われいるが、それでは天皇の参拝は、個人的な好みで行っていたのか>?政治的な意図があったのか?と思われても仕方がない。
天皇のために奉じた戦死者に対する謝罪を表す参拝であったのなら、天皇の意志として参拝し続けて欲しかった。そうなれば、総理大臣の参拝がどうのこうのと隣国から干渉されることは決して起こりえなかった。
はっきり言って、戦死者に対する謝罪の気持ちよりも、個人的な思惑や政治的な思惑に気を取られすぎた。象徴天皇であるにも係わらずだ。
昭和天皇は靖国神社に行って土下座すべきだとの前言は、過激であったかもしれないが、それだけの気持ちをもって参拝に臨んで欲しかっただけ。そしていま、その責任を総理大臣が代わって負っている。不思議だとは思わないのか? かつての君主の在るべき姿なのか?
いまここで発言している私の主張が、心情的に日本人の天皇を思う心にいささか傷を付けていることはわかるが、日本人が意図的に避けてきた問題に、キチンと天皇の責任を明らかにして、「天皇家」に奉じたかつての戦死者に対して、今生天皇も毅然と参拝して欲しいと思っている者がいるといるとゆうことを知ってもらえるだけでもいい。
なかなか日本人の心を打つ文章ですな。
それが君主たるゆえんの姿であり、そのようになるよう帝王学を授かってきたし、また実直な性格のお方であったと聞く。
敗戦後、マッカサーのところに出向いた天皇は、「この戦争の責任はすべて自分が負う」旨の話をしたことが、マッカーサー回顧録にも載っている。
勝者に対して敗者の責任者として、潔き姿だが、肝心の日本国民に対しては、どうだったのか?
A級戦犯が合碑されるまでは、昭和天皇は靖国神社に参拝していた自分のために数多くの日本人が命を捧げてくれたかつての君主として当然と思うが、その姿をずっと日本人に示してくれたなら、「天皇陛下、もう充分ではないですか」の一言を私も言ったことだろう。
しかしA級戦犯が合碑されてからは、はたと中断された。祭られたA級戦犯の中に天皇の意に反して開戦を推進した者がいたから、あるいはA級戦犯への参拝を強硬に反対する近隣諸国への配慮したためと言われいるが、それでは天皇の参拝は、個人的な好みで行っていたのか>?政治的な意図があったのか?と思われても仕方がない。
天皇のために奉じた戦死者に対する謝罪を表す参拝であったのなら、天皇の意志として参拝し続けて欲しかった。そうなれば、総理大臣の参拝がどうのこうのと隣国から干渉されることは決して起こりえなかった。
はっきり言って、戦死者に対する謝罪の気持ちよりも、個人的な思惑や政治的な思惑に気を取られすぎた。象徴天皇であるにも係わらずだ。
昭和天皇は靖国神社に行って土下座すべきだとの前言は、過激であったかもしれないが、それだけの気持ちをもって参拝に臨んで欲しかっただけ。そしていま、その責任を総理大臣が代わって負っている。不思議だとは思わないのか? かつての君主の在るべき姿なのか?
いまここで発言している私の主張が、心情的に日本人の天皇を思う心にいささか傷を付けていることはわかるが、日本人が意図的に避けてきた問題に、キチンと天皇の責任を明らかにして、「天皇家」に奉じたかつての戦死者に対して、今生天皇も毅然と参拝して欲しいと思っている者がいるといるとゆうことを知ってもらえるだけでもいい。
これは メッセージ 38472 (ta54547823 さん)への返信です.
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