「日本の真似ばかりして駄目な韓国映画」
投稿者: p10l9 投稿日時: 2007/03/22 15:23 投稿番号: [36819 / 85019]
>韓国が開発したジャンルも、スタイルも、形式も、何も無い。日本の小説や漫画、それにドラマをコピーする事に一生懸命になっている。<
日本だけでなく、アジアでも欧米でも、結局、ほとんど上映すらされない韓国の映画。
香港映画の半分の規模にならないまま、これまた線香花火で消滅。
>大韓民国の国家代表映画として、アカデミー外国語映画賞を狙った『王の男』の希望の光が消えた。
1次候補の名簿にも入る事が出来なかった。
『化け物(グエムル−漢河の怪物)』と共に国内候補選択の頃から話題となり、「イ・ジュンギがレッドカーペットを踏むのでは?」という気の早い報道が出るなど、受賞の可能性まで煽った国内メディアの期待とは違い、『王の男』に対するハリウッドの視線は冷たかった。『王の男』について触れた媒体は無かった。
アメリカでのボックスオフィス1位を公言したシム・ヒョンレ監督の『ヤンガリ(怪獣大決戦ヤンガリー)』もアメリカでは封切り出来なかった。切歯腐心(歯ぎしりしながら悔しがる様)して再挑戦した『D-War』も、アメリカのメージャー配給会社との契約に時間を費やしている様子である。韓国の商業映画が越えられないハリウッドの高い壁である。
我が国で興行に成功し、野心満々でアメリカに進出した『太極旗を翻して(ブラザーフッド)』や、『タイフーン』なども何の成果も収められなかった。2月にアメリカでの封切りを控えている『化け物(グエムル−漢河の怪物)』も成功について壮語出来ない。期待していた日本やイギリス等でも、既に失望的な結果だった。
『外部』から見た韓国映画に対する形がはっきりとしていない。『バラ色の青写真』ではなく、冷静な自分批判が必要とされる時期である。特に韓国映画の『無個性』について、考えなければならないと指摘されている。
海外市場で席を確保しているアメリカ以外の地域映画は、それなりに『代表的なブランドイメージ』を持っている。中華圏はカンフーと武侠映画、日本はサムライとホラー映画、フランスは愛情関連がメインの感性的映画などである。国名だけで直ぐに浮び上がる映画のジャンルとイメージがはっきりしている。これを通じて獲得したネーム・バリューで、自分の領域を拡大したと分析されている。
一方、韓国映画はこれといった『代表的なブランドイメージ』が無く、個性が無いという憂慮の声が高い。
米国を真似てはいるが、その水準のプロダクションクオリティーを出せないと批判されている。
韓国が開発したジャンルも、スタイルも、形式も、何も無い。日本の小説や漫画、それにドラマをコピーする事に一生懸命になっている。
映画の根幹になる文化の不在である。好評を得るフランスの芸術映画の基にはフランス文学の権威がある。日本映画は早目にアメリカに入り込み、マニアを量産した漫画とアニメーションにより徳を得ている。最近、手塚治虫の原作を映画化した『どろろ』を、アメリカのメジャー配給会社であるユニバーサルが快く引き受けた理由でもある。
NAVER/ソウル=ニューシス(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=003&article_id=0000299635
日本だけでなく、アジアでも欧米でも、結局、ほとんど上映すらされない韓国の映画。
香港映画の半分の規模にならないまま、これまた線香花火で消滅。
>大韓民国の国家代表映画として、アカデミー外国語映画賞を狙った『王の男』の希望の光が消えた。
1次候補の名簿にも入る事が出来なかった。
『化け物(グエムル−漢河の怪物)』と共に国内候補選択の頃から話題となり、「イ・ジュンギがレッドカーペットを踏むのでは?」という気の早い報道が出るなど、受賞の可能性まで煽った国内メディアの期待とは違い、『王の男』に対するハリウッドの視線は冷たかった。『王の男』について触れた媒体は無かった。
アメリカでのボックスオフィス1位を公言したシム・ヒョンレ監督の『ヤンガリ(怪獣大決戦ヤンガリー)』もアメリカでは封切り出来なかった。切歯腐心(歯ぎしりしながら悔しがる様)して再挑戦した『D-War』も、アメリカのメージャー配給会社との契約に時間を費やしている様子である。韓国の商業映画が越えられないハリウッドの高い壁である。
我が国で興行に成功し、野心満々でアメリカに進出した『太極旗を翻して(ブラザーフッド)』や、『タイフーン』なども何の成果も収められなかった。2月にアメリカでの封切りを控えている『化け物(グエムル−漢河の怪物)』も成功について壮語出来ない。期待していた日本やイギリス等でも、既に失望的な結果だった。
『外部』から見た韓国映画に対する形がはっきりとしていない。『バラ色の青写真』ではなく、冷静な自分批判が必要とされる時期である。特に韓国映画の『無個性』について、考えなければならないと指摘されている。
海外市場で席を確保しているアメリカ以外の地域映画は、それなりに『代表的なブランドイメージ』を持っている。中華圏はカンフーと武侠映画、日本はサムライとホラー映画、フランスは愛情関連がメインの感性的映画などである。国名だけで直ぐに浮び上がる映画のジャンルとイメージがはっきりしている。これを通じて獲得したネーム・バリューで、自分の領域を拡大したと分析されている。
一方、韓国映画はこれといった『代表的なブランドイメージ』が無く、個性が無いという憂慮の声が高い。
米国を真似てはいるが、その水準のプロダクションクオリティーを出せないと批判されている。
韓国が開発したジャンルも、スタイルも、形式も、何も無い。日本の小説や漫画、それにドラマをコピーする事に一生懸命になっている。
映画の根幹になる文化の不在である。好評を得るフランスの芸術映画の基にはフランス文学の権威がある。日本映画は早目にアメリカに入り込み、マニアを量産した漫画とアニメーションにより徳を得ている。最近、手塚治虫の原作を映画化した『どろろ』を、アメリカのメジャー配給会社であるユニバーサルが快く引き受けた理由でもある。
NAVER/ソウル=ニューシス(韓国語)
http://news.naver.com/news/read.php?mode=LSD&office_id=003&article_id=0000299635
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