天皇の起源 その2
投稿者: elgfaret 投稿日時: 2007/02/22 07:15 投稿番号: [34977 / 85019]
ソース先
天皇の起源
「歴史会議室」(http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain)#1970
2000/05/28 半月城
もともと日本と韓国は、百済以前「同種」であったようですが、北畠親房
によれば、その記録は平安時代に燃やされたとのことでした(注1)。
<「太平記」の時代、後醍醐天皇の側近・北畠親房の書いた『神皇正統記』
には「昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代に焼き
すてられしなり」と書いてある>
北畠親房の記述が正しいとすれば、平安時代初期、韓国との関係を否定す
る歴史の隠蔽が大々的に行われたようです。しかし、隠蔽が桓武天皇の代にな
されたとはすこし意外で、私は疑問すらおぼえます。
というのも、桓武天皇自身「朕の外戚は百済なり」と公言していたので、
むしろ百済との関係を肯定的にとらえていたのではないかと思われるからです。
実際、信仰面でいうと、このころの皇室は「韓神(からのかみ)」も崇拝の中
心にすえていました。
この記録までは燃やされなかったようで、韓神のことは『広辞苑』にまで
残されました。
から‐の‐かみ【韓神】
(朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴
(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという。
一般にある民族が外来の神を受け入れるというのは、相当な抵抗があるも
のです。倭でも仏教を受け入れるかどうかをめぐって内乱が起きたくらいです
が、天皇家が韓神を受け入れるのにほとんど困難はなかったようでした。
もともと、神社や神宮は韓国や中国からの借用であっただけに当然かもし
れません。井沢元彦流にいえば、韓神は外来の神というより、天皇家の出身地
そのものの神だったのかもしれません。それに加えて、当時、韓神は倭にすで
に深く浸透していたようでした。
韓神を祀った園韓神社は、もともと藤原氏の創建になるものとされていま
すが、祭神の大己貴、別名、大国主(オオクニヌシ)命などは外来の神という
意識すら薄くなっていたのかもしれません。オオクニヌシ、少彦名はいうまで
もなく、新羅から出雲に渡ったとされる素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子孫
とされています。
平安時代、この韓神とともに園神(そののかみ)も一緒に祀られていたよ
うでした。この神も渡来の神だったようです。井上正昭教授によれば「韓神と
は百済系の神、園神とは新羅系の神ということになる。ともにわが国に渡来し
てきた、いわゆる今来(いまき)の神であった」とされました(注4)。
天皇家がこのような過去をもつと理解したとき、極右の民族派は天皇中心
の「国体」をどのように理解するのか興味のあるところです。
天皇の起源
「歴史会議室」(http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain)#1970
2000/05/28 半月城
もともと日本と韓国は、百済以前「同種」であったようですが、北畠親房
によれば、その記録は平安時代に燃やされたとのことでした(注1)。
<「太平記」の時代、後醍醐天皇の側近・北畠親房の書いた『神皇正統記』
には「昔日本は三韓と同種也と云事のありし、かの書をば、桓武の御代に焼き
すてられしなり」と書いてある>
北畠親房の記述が正しいとすれば、平安時代初期、韓国との関係を否定す
る歴史の隠蔽が大々的に行われたようです。しかし、隠蔽が桓武天皇の代にな
されたとはすこし意外で、私は疑問すらおぼえます。
というのも、桓武天皇自身「朕の外戚は百済なり」と公言していたので、
むしろ百済との関係を肯定的にとらえていたのではないかと思われるからです。
実際、信仰面でいうと、このころの皇室は「韓神(からのかみ)」も崇拝の中
心にすえていました。
この記録までは燃やされなかったようで、韓神のことは『広辞苑』にまで
残されました。
から‐の‐かみ【韓神】
(朝鮮から渡来した神の意か) 守護神として宮内省に祀られていた神。大己貴
(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという。
一般にある民族が外来の神を受け入れるというのは、相当な抵抗があるも
のです。倭でも仏教を受け入れるかどうかをめぐって内乱が起きたくらいです
が、天皇家が韓神を受け入れるのにほとんど困難はなかったようでした。
もともと、神社や神宮は韓国や中国からの借用であっただけに当然かもし
れません。井沢元彦流にいえば、韓神は外来の神というより、天皇家の出身地
そのものの神だったのかもしれません。それに加えて、当時、韓神は倭にすで
に深く浸透していたようでした。
韓神を祀った園韓神社は、もともと藤原氏の創建になるものとされていま
すが、祭神の大己貴、別名、大国主(オオクニヌシ)命などは外来の神という
意識すら薄くなっていたのかもしれません。オオクニヌシ、少彦名はいうまで
もなく、新羅から出雲に渡ったとされる素戔嗚尊(スサノオノミコト)の子孫
とされています。
平安時代、この韓神とともに園神(そののかみ)も一緒に祀られていたよ
うでした。この神も渡来の神だったようです。井上正昭教授によれば「韓神と
は百済系の神、園神とは新羅系の神ということになる。ともにわが国に渡来し
てきた、いわゆる今来(いまき)の神であった」とされました(注4)。
天皇家がこのような過去をもつと理解したとき、極右の民族派は天皇中心
の「国体」をどのように理解するのか興味のあるところです。
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