明、清の属国、冊封に関する珍説
投稿者: suisenyukikaze 投稿日時: 2004/10/17 22:42 投稿番号: [3464 / 85019]
李朝は、宗主国「清朝」のその世界でも珍しいほど徹底した属国だった
支那と朝鮮半島との朝貢・冊封関係ほ、象徴的なもので、朝鮮人が独立を失って、国を滅ぼされたのは、日帝三十六年が初めてである、という朝鮮近代史論が韓国で一般的なのを日本人はあまり知らない。
これまた、典型的なウソだ。
とくに明、清帝国の時代には、李朝の地位が清帝国の奴隷というよりも、奴隷のまた奴隷だった。
清王朝の構造でいえば、朝鮮は清帝国の属国であり、この国家の管理は、皇帝の廷臣によって実質的に支配されていた。李朝は、朝鮮半島では認められても、その地位は、清の皇帝の廷臣の下、管理下にあった。つまり朝鮮国王といえどもその地位は、皇帝の奴隷のまた奴隷である。何故なら、清では皇帝以外はすべて「皇帝の奴隷」とされていたからだ。
元々、清帝国に臣服するとは、つまり「正朔を奉ずる」ことはまったく冊封とは異なる。
清帝国の 朝鮮国王は、清の皇帝にょって任命され、位階は皇帝の廷臣の下である。国王に対する生殺与奪の権は、名目的には皇帝にあるが、実質的にほ清の廷臣にある。王妃、世子の冊立・改廃なども皇帝に報告・許可を義務づけられている。
清朝皇帝の使節に対して、朝鮮国王は、ソウルの迎恩門まで出迎え、土下座しなければならない。「明」の時代以来、宗主国使節が来訪するたびに、国王は自ら郊外に出迎え、宴会では、慕華館で皇太子とともに酒のお酌役をするのが通例で、いわゆる、これが臣下の礼。
こんなことは冊封とはまったく関係しない、属国だけに求められた一例だ。
また、李朝国内に起きたことは一つ一つ細かく清朝に報告しなければならない。官吏任用などの国内政治人事問題は、宗主国が一つ一つ容吸(そばから口を出す)するのである。
さらに宗主国に対する忠誠心を示すために、たとえば、日本の日光東照宮に燭台を送ることでさえ、清朝朝廷の許可を得ていた。こんなことも冊封とは関係しない。
朝鮮国王は清が使用する色彩や、皇冠などに形、色が似たものは一切使用を厳しく禁止されるなど、事細かにまさに奴隷のように扱われていた。
また明や清から許可を得るためには、清の皇帝に一次支配されているのではなく、その礼部に属する役人が事実上の管理皇帝なので、高価な贈り物、王族貴族の娘を贈った。今日の韓国社会の賄賂の習慣も朝貢冊封体制からくる伝統文化の一つだ。近代に入ると、実際に李朝を支配したのは北洋大臣の李鴻章とその腹心の衷世凱。その地位は、朝鮮国王の代理・監国だった。たとえば、一八八二年の若鮎後、大院君の連行について、清王朝の伝統に沿い、朝鮮国王の冊立・廃位は、清朝朝廷にょるものであり、朝鮮国王の実父・大鴻章の指令にょるものだった。
李鴻章は大院君を京城から天津へ強制連行したもある。清を軽んじたことへの懲罰だった。
上記が簡単に一部触れた属国の惨めな実態だ。これでもごく一部だ。
明も清も、貿易を望む国には形式的に、面子を守るため、皇帝に敬意を表するように最初貢ぎ物をその礼部が求め、勝手に冊封と称したが、それで同じ属国だなどという珍奇な解釈は、元の明、清にもない。今の中国の学者でさえ主張しない、韓国だけの珍説である。
武士もいて、誇りもある国については明、清も認め、一切、おかしな要求はしていない。相手を認めていたのである。お互いに戦いの経験もあり、属国扱いすれば面倒なことになるのを知っていたのである。
抵抗もせず、何もせず、武士も文人もおらず、伝統的に元、明、清などの奴隷国に易々安々と永く甘んじていたのは、朝鮮だけである。さらにそれを今もウソでごまかそうとし、世界の歴史学者からはまったく相手にされない馬鹿な国でもある。
支那と朝鮮半島との朝貢・冊封関係ほ、象徴的なもので、朝鮮人が独立を失って、国を滅ぼされたのは、日帝三十六年が初めてである、という朝鮮近代史論が韓国で一般的なのを日本人はあまり知らない。
これまた、典型的なウソだ。
とくに明、清帝国の時代には、李朝の地位が清帝国の奴隷というよりも、奴隷のまた奴隷だった。
清王朝の構造でいえば、朝鮮は清帝国の属国であり、この国家の管理は、皇帝の廷臣によって実質的に支配されていた。李朝は、朝鮮半島では認められても、その地位は、清の皇帝の廷臣の下、管理下にあった。つまり朝鮮国王といえどもその地位は、皇帝の奴隷のまた奴隷である。何故なら、清では皇帝以外はすべて「皇帝の奴隷」とされていたからだ。
元々、清帝国に臣服するとは、つまり「正朔を奉ずる」ことはまったく冊封とは異なる。
清帝国の 朝鮮国王は、清の皇帝にょって任命され、位階は皇帝の廷臣の下である。国王に対する生殺与奪の権は、名目的には皇帝にあるが、実質的にほ清の廷臣にある。王妃、世子の冊立・改廃なども皇帝に報告・許可を義務づけられている。
清朝皇帝の使節に対して、朝鮮国王は、ソウルの迎恩門まで出迎え、土下座しなければならない。「明」の時代以来、宗主国使節が来訪するたびに、国王は自ら郊外に出迎え、宴会では、慕華館で皇太子とともに酒のお酌役をするのが通例で、いわゆる、これが臣下の礼。
こんなことは冊封とはまったく関係しない、属国だけに求められた一例だ。
また、李朝国内に起きたことは一つ一つ細かく清朝に報告しなければならない。官吏任用などの国内政治人事問題は、宗主国が一つ一つ容吸(そばから口を出す)するのである。
さらに宗主国に対する忠誠心を示すために、たとえば、日本の日光東照宮に燭台を送ることでさえ、清朝朝廷の許可を得ていた。こんなことも冊封とは関係しない。
朝鮮国王は清が使用する色彩や、皇冠などに形、色が似たものは一切使用を厳しく禁止されるなど、事細かにまさに奴隷のように扱われていた。
また明や清から許可を得るためには、清の皇帝に一次支配されているのではなく、その礼部に属する役人が事実上の管理皇帝なので、高価な贈り物、王族貴族の娘を贈った。今日の韓国社会の賄賂の習慣も朝貢冊封体制からくる伝統文化の一つだ。近代に入ると、実際に李朝を支配したのは北洋大臣の李鴻章とその腹心の衷世凱。その地位は、朝鮮国王の代理・監国だった。たとえば、一八八二年の若鮎後、大院君の連行について、清王朝の伝統に沿い、朝鮮国王の冊立・廃位は、清朝朝廷にょるものであり、朝鮮国王の実父・大鴻章の指令にょるものだった。
李鴻章は大院君を京城から天津へ強制連行したもある。清を軽んじたことへの懲罰だった。
上記が簡単に一部触れた属国の惨めな実態だ。これでもごく一部だ。
明も清も、貿易を望む国には形式的に、面子を守るため、皇帝に敬意を表するように最初貢ぎ物をその礼部が求め、勝手に冊封と称したが、それで同じ属国だなどという珍奇な解釈は、元の明、清にもない。今の中国の学者でさえ主張しない、韓国だけの珍説である。
武士もいて、誇りもある国については明、清も認め、一切、おかしな要求はしていない。相手を認めていたのである。お互いに戦いの経験もあり、属国扱いすれば面倒なことになるのを知っていたのである。
抵抗もせず、何もせず、武士も文人もおらず、伝統的に元、明、清などの奴隷国に易々安々と永く甘んじていたのは、朝鮮だけである。さらにそれを今もウソでごまかそうとし、世界の歴史学者からはまったく相手にされない馬鹿な国でもある。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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