Re: 乳丸出し・・・馬鹿丸出し
投稿者: sada_goro 投稿日時: 2007/01/30 17:12 投稿番号: [33586 / 85019]
文章の書き方から見ると,elgfaret は,朝鮮人らしいけど自分の国の風俗も知らないのだろうか?
幕末から明治にかけて,日本は世界のサロンのブームだった
日本のいろいろな風俗や芸術が紹介され,パリやロンドンやアメリカの画壇,上流階級のサロンを沸かせた
残念ながら,朝鮮にはそのような世界を魅了するような芸術も風俗もなかった
たくさんの写真家が日本を訪れ,あるいは日本の写真家が活躍していろいろな写真を撮った
外人向けの豪華なお土産用の彩色写真も多数作られ,世界中に広まっていった
カラー写真とも見まごうほどの出来栄えの「彩色写真」
1900年以前の朝鮮にこのような写真があるかい?
それは,まさに手先の器用な日本職人ならではの仕事
当時の写真は,しばらくポーズをとって居なければならなかった
写真乾板なども貴重なものだった
中には,当然やらせや,外人向けのいい加減な演出のものもあった
簡単な風俗写真や,今でいうヌード写真のようないかがわしいものもあった
elgfaret が示したものは,そのようなもの
elgfaret のお里が知れる
寄りにもよって汚いおかしな写真ばかり寄せ集めて,いかにも朝鮮人らしい根性
品性のかけらもない
当時の彩色写真がどんなに素晴らしかったか,芸術的価値を理解できない土人的発想
中でも傑作は「朝鮮人紳士」
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4042
自分の国の風俗も知らないのかい
こんなおかしな格好が,朝鮮人の紳士?
帽子もおかしいだろう
服もおかしいだろう
ハリウッドが作った東洋映画的に,雰囲気が似てればいいと
そこらにあったものを寄せ集めて着せて,ポーズをとらせて撮影
本当の朝鮮服を知らない外人にはこれでOK!
大体,何で日本で撮るのよ
おかしいじゃない
当時の素晴らしい彩色写真(幕末〜明治)を,朝鮮の土人写真と比べてみるといい
http://www.meijitaisho.net/
http://hikoma.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/photographer.html
(elgfaret でない普通の人間の見方)
・日下部金兵衛のものなどがお勧め
http://mirabeau.cool.ne.jp/enoshima/post/post1.html
(江ノ島)
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/kurashi/annai/kioku/kioku.html
(箱根)
http://www.kyobunka.or.jp/phot/photo.html
(京都)
http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/folder/522767.html
(現代の彩色写真)
これらの彩色写真は,多く「横浜写真」の代名詞で呼ばれた
下は,サイトからの抜書き
===
明治中期、開港都市となった横浜で、外国人向けの商業写真文化が花ひらきました。彩色写真、幻灯スライド、蒔絵アルバムなど、日本の伝統技術と結びあって生まれた写真工芸品は、その地の名を取って「横浜写真」と呼ばれています。
幕末嘉永元年(1848)に渡来した「写真」は、約10年ののち、辛苦の末に写真術を解き明かした上野彦馬、下岡蓮杖らの先達と、来日した外国人写真師たちによって、長崎や横浜といった開港地で、ほぼ時を同じくして勃興し始めました。特に外国からの新たな玄関口となった横浜では、いち早くスタジオを開いた蓮杖が、臼井秀三郎や鈴木真一、江崎礼二ら弟子たちに写真術を教え、居留地内ではウィリアム・ソンダースやオーリン E. フリーマンが彩色を施した写真を売りはじめ、フェリーチェ・ベアトが日本各地で撮影した写真をアルバムにまとめることで商材化、また日下部金兵衛にその技術を伝えるなどして、来るべき時代の種が蒔かれていました。
彩色写真、写真アルバム、若き門人たち、こうした素材と人が結びついて迎えた明治、横浜の写真文化が一斉に芽吹いていきます。臼井(明治2年)、鈴木真一(明治6年)ら、門人たちが写場を持って独立、さらに明治10年代に入ると、金兵衛や東京から移ってきた玉村康三郎、ベアトのスタジオを引き継いだライムント・フォン・スティルフリードらも登場し、彩色写真やベアトの写真アルバムをさらに発展させた蒔絵アルバ\xA5
幕末から明治にかけて,日本は世界のサロンのブームだった
日本のいろいろな風俗や芸術が紹介され,パリやロンドンやアメリカの画壇,上流階級のサロンを沸かせた
残念ながら,朝鮮にはそのような世界を魅了するような芸術も風俗もなかった
たくさんの写真家が日本を訪れ,あるいは日本の写真家が活躍していろいろな写真を撮った
外人向けの豪華なお土産用の彩色写真も多数作られ,世界中に広まっていった
カラー写真とも見まごうほどの出来栄えの「彩色写真」
1900年以前の朝鮮にこのような写真があるかい?
それは,まさに手先の器用な日本職人ならではの仕事
当時の写真は,しばらくポーズをとって居なければならなかった
写真乾板なども貴重なものだった
中には,当然やらせや,外人向けのいい加減な演出のものもあった
簡単な風俗写真や,今でいうヌード写真のようないかがわしいものもあった
elgfaret が示したものは,そのようなもの
elgfaret のお里が知れる
寄りにもよって汚いおかしな写真ばかり寄せ集めて,いかにも朝鮮人らしい根性
品性のかけらもない
当時の彩色写真がどんなに素晴らしかったか,芸術的価値を理解できない土人的発想
中でも傑作は「朝鮮人紳士」
http://oldphoto.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/target.php?id=4042
自分の国の風俗も知らないのかい
こんなおかしな格好が,朝鮮人の紳士?
帽子もおかしいだろう
服もおかしいだろう
ハリウッドが作った東洋映画的に,雰囲気が似てればいいと
そこらにあったものを寄せ集めて着せて,ポーズをとらせて撮影
本当の朝鮮服を知らない外人にはこれでOK!
大体,何で日本で撮るのよ
おかしいじゃない
当時の素晴らしい彩色写真(幕末〜明治)を,朝鮮の土人写真と比べてみるといい
http://www.meijitaisho.net/
http://hikoma.lb.nagasaki-u.ac.jp/jp/photographer.html
(elgfaret でない普通の人間の見方)
・日下部金兵衛のものなどがお勧め
http://mirabeau.cool.ne.jp/enoshima/post/post1.html
(江ノ島)
http://www.town.hakone.kanagawa.jp/hakone_j/kurashi/annai/kioku/kioku.html
(箱根)
http://www.kyobunka.or.jp/phot/photo.html
(京都)
http://blogs.yahoo.co.jp/dokidoki_puck/folder/522767.html
(現代の彩色写真)
これらの彩色写真は,多く「横浜写真」の代名詞で呼ばれた
下は,サイトからの抜書き
===
明治中期、開港都市となった横浜で、外国人向けの商業写真文化が花ひらきました。彩色写真、幻灯スライド、蒔絵アルバムなど、日本の伝統技術と結びあって生まれた写真工芸品は、その地の名を取って「横浜写真」と呼ばれています。
幕末嘉永元年(1848)に渡来した「写真」は、約10年ののち、辛苦の末に写真術を解き明かした上野彦馬、下岡蓮杖らの先達と、来日した外国人写真師たちによって、長崎や横浜といった開港地で、ほぼ時を同じくして勃興し始めました。特に外国からの新たな玄関口となった横浜では、いち早くスタジオを開いた蓮杖が、臼井秀三郎や鈴木真一、江崎礼二ら弟子たちに写真術を教え、居留地内ではウィリアム・ソンダースやオーリン E. フリーマンが彩色を施した写真を売りはじめ、フェリーチェ・ベアトが日本各地で撮影した写真をアルバムにまとめることで商材化、また日下部金兵衛にその技術を伝えるなどして、来るべき時代の種が蒔かれていました。
彩色写真、写真アルバム、若き門人たち、こうした素材と人が結びついて迎えた明治、横浜の写真文化が一斉に芽吹いていきます。臼井(明治2年)、鈴木真一(明治6年)ら、門人たちが写場を持って独立、さらに明治10年代に入ると、金兵衛や東京から移ってきた玉村康三郎、ベアトのスタジオを引き継いだライムント・フォン・スティルフリードらも登場し、彩色写真やベアトの写真アルバムをさらに発展させた蒔絵アルバ\xA5
これは メッセージ 33544 (elgfaret さん)への返信です.
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