1950年1-6月の黙示録
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/10/07 21:35 投稿番号: [3259 / 85019]
1950年という年は、世界、極東アジアにとって重要な年でした。
この年を境に色々なことが同じ次元、同じ方向性をもって動いたと思います。御存じの通り、朝鮮動乱やインドシナ紛争もこの年から本格化、始まりましたし、経済動向、米ソの冷戦、西側の成長、東側の凋落もこの年にスタートしたと思います。
その年の、極東関連の重要な出来事を、朝鮮動乱直前のところまで、米国を軸に見てみましょう。
49年12月2日
中国国民党政府が台北を首都にすると発表.蒋介石総統は10日に台北到着。
47年の台湾人虐殺事件の影響で米国政府、国防省、国務省支援せず。蒋介石、孤立。
50年 1月12日
米国アチソン国務長官、「西太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン上」と発言.中国革命への不干渉を発表し,朝鮮半島の放棄をも示唆。
1月23日
中国,北朝鮮要請に基づき、朝鮮籍兵士の移籍(第二次移籍)を承認、1万4,000名移籍。北朝鮮軍全備7個師団中の内、3個師団が中国移籍将兵で編成。
1月26日
米韓軍事援助協定が調印。陸軍武器供与決定。韓国側は、増援、軍事支援を求めるが,アメリカは断る。それまでの李承晩政権の反米姿勢、腐敗を理由とする。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く全土解放を宣言。国民党への勝利宣言。事実上の中華人民共和国体制完成
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。同じ頃、アチソン国務長官、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクでたびたび行う
3月
アチソン国務長官が「アジア諸国は大戦後、民族独立を達成した。アメリカは過去・将来を通じ民族独立運動を支持しなければならない。そのために必要な援助をそれぞれの場合に応じた形で与える」と述べる。
また中共政府に対し、「国際慣行、国際秩序、各国政府を尊重するのなら米国は貿易を開始する」と発表。中共政府、これを歓迎。
3月
米国政府,国務省案に沿い,1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を決定.韓国政府に均衡財政の確立など経済安定、国内の沈静を求める.
しかし、経済問題に疎く、腐敗の激しい李承晩政権はなんら計画を示せず、国内での政争、騒擾、混乱激化、かつ国内インフレは200%を越し、米国下院は「すべての援助はインフレの中で溶解するだけ。援助しても無駄」と政府を非難。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、「沖縄はアジアにおける米国の難攻不落の要塞とする.一切の攻撃にたえ得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設する」と発表.
今と何か似ているように感じませんか?我々にとって、極東にとって、今も黙示録であると思いませんか?
これらが背景にあり、遂に6月末の朝鮮動乱が始まりますが、元の38度線に両軍落ち着き、休戦した53年7月末以降の年表も構図は同じようなものです。米国は朝鮮、韓国支援は日本に押しつけてしまい、以後積極的になったことはないと思います。台湾の件、中国の件、韓国の件、日本の件は、このたった半年の間に凝縮されていると思いませんか?北朝鮮は常に、その裏側に中国がいるあたり、何ら変化していないと思います。
従って、金大中大統領が満面の笑みで握手した相手は、突き詰めて言えば、幽霊であり、その幽霊のご主人様は中国だったと、私は思いますが。
その後の6月25日は再来するか?するはずがないと思います。ロシアはおりませんし、中国は既にほしいものは手に入れたのですから、戦争する理由はないでしょう?
中国は、その幽霊の後釜ももう選んであると思います。もめるとしたら、北側とその点でだけはもめるかも知れませんが・・・・
韓国政府が、韓国の政治家達が、この1950年1-6月の重み、意味を十分考慮、吟味し、歴史の教訓を得たとは、私には到底思えません。
或いは、韓国の一部の軍人達は涙をのんでいるかも知れませんが。
この年を境に色々なことが同じ次元、同じ方向性をもって動いたと思います。御存じの通り、朝鮮動乱やインドシナ紛争もこの年から本格化、始まりましたし、経済動向、米ソの冷戦、西側の成長、東側の凋落もこの年にスタートしたと思います。
その年の、極東関連の重要な出来事を、朝鮮動乱直前のところまで、米国を軸に見てみましょう。
49年12月2日
中国国民党政府が台北を首都にすると発表.蒋介石総統は10日に台北到着。
47年の台湾人虐殺事件の影響で米国政府、国防省、国務省支援せず。蒋介石、孤立。
50年 1月12日
米国アチソン国務長官、「西太平洋の防衛線は日本・琉球・フィリピンを結ぶライン上」と発言.中国革命への不干渉を発表し,朝鮮半島の放棄をも示唆。
1月23日
中国,北朝鮮要請に基づき、朝鮮籍兵士の移籍(第二次移籍)を承認、1万4,000名移籍。北朝鮮軍全備7個師団中の内、3個師団が中国移籍将兵で編成。
1月26日
米韓軍事援助協定が調印。陸軍武器供与決定。韓国側は、増援、軍事支援を求めるが,アメリカは断る。それまでの李承晩政権の反米姿勢、腐敗を理由とする。
1月31日
中国人民軍、台湾とチベットを除く全土解放を宣言。国民党への勝利宣言。事実上の中華人民共和国体制完成
2月10日
米国政府、沖縄での恒久的な基地建設計画を発表。同じ頃、アチソン国務長官、李承晩政権を見限る発言を党内、シンクタンクでたびたび行う
3月
アチソン国務長官が「アジア諸国は大戦後、民族独立を達成した。アメリカは過去・将来を通じ民族独立運動を支持しなければならない。そのために必要な援助をそれぞれの場合に応じた形で与える」と述べる。
また中共政府に対し、「国際慣行、国際秩序、各国政府を尊重するのなら米国は貿易を開始する」と発表。中共政府、これを歓迎。
3月
米国政府,国務省案に沿い,1億ドルの対韓援助(反共支援予算)を決定.韓国政府に均衡財政の確立など経済安定、国内の沈静を求める.
しかし、経済問題に疎く、腐敗の激しい李承晩政権はなんら計画を示せず、国内での政争、騒擾、混乱激化、かつ国内インフレは200%を越し、米国下院は「すべての援助はインフレの中で溶解するだけ。援助しても無駄」と政府を非難。
6月22日
米国ジョンソン国防長官,日本において、「沖縄はアジアにおける米国の難攻不落の要塞とする.一切の攻撃にたえ得る恒久的な作戦施設、基地、補給設備を建設する」と発表.
今と何か似ているように感じませんか?我々にとって、極東にとって、今も黙示録であると思いませんか?
これらが背景にあり、遂に6月末の朝鮮動乱が始まりますが、元の38度線に両軍落ち着き、休戦した53年7月末以降の年表も構図は同じようなものです。米国は朝鮮、韓国支援は日本に押しつけてしまい、以後積極的になったことはないと思います。台湾の件、中国の件、韓国の件、日本の件は、このたった半年の間に凝縮されていると思いませんか?北朝鮮は常に、その裏側に中国がいるあたり、何ら変化していないと思います。
従って、金大中大統領が満面の笑みで握手した相手は、突き詰めて言えば、幽霊であり、その幽霊のご主人様は中国だったと、私は思いますが。
その後の6月25日は再来するか?するはずがないと思います。ロシアはおりませんし、中国は既にほしいものは手に入れたのですから、戦争する理由はないでしょう?
中国は、その幽霊の後釜ももう選んであると思います。もめるとしたら、北側とその点でだけはもめるかも知れませんが・・・・
韓国政府が、韓国の政治家達が、この1950年1-6月の重み、意味を十分考慮、吟味し、歴史の教訓を得たとは、私には到底思えません。
或いは、韓国の一部の軍人達は涙をのんでいるかも知れませんが。
これは メッセージ 3252 (chopper8111362 さん)への返信です.
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