私流文化論
投稿者: chonmage_johney 投稿日時: 2006/12/26 12:23 投稿番号: [31310 / 85019]
例えば、人と話をする時、首を曲げる。咳払いをする。貧乏ゆすりをする。手を組みかえる。髪に指を絡ませる。鼻を手でさする・・・等、人それぞれにクセというものがあります。
文化というものを、一言で表すなら、貴賎問わず民族単位のクセだと考えています。それがたまたま客体化及び具現化したものが、国宝や重要文化財級の文化遺産であり、ざっくり言えば、有力とはいえ、その時代を掴むに好都合というだけに過ぎません。もっとも、それを学ぶことは有益なわけですが。
忘れてはならないのは、文化遺産として残っていない、親子の関係とか風俗、食べ物の類といった、生活の基盤となる平凡なものこそが文化なのです。
それは、何代も受け継がれてきて初めて、クセたる文化と呼べる代物となりますし、そこには、必然的に人間の営みというものが介在してきます。理屈ではなく、非論理の押し付けがあって、初めてそれが形成されるとしても良いでしょう。そして、そのクセの正当性は民族固有の歴史によって担保されます。文化とは生き方をも指します。それを矯正させられることには、物凄く抵抗を覚えるのです。各個人にあるクセと同様です。当たり前のことですが、突然に地から湧き出したり、空から降ってくるものではありません。
それを形づくるのに重要な役割を果たすのが、気候風土です。日本は豊かな自然に恵まれている反面、地震・台風・大雨・雪害・火山の噴火等の様々な天災に昔から幾度も遭ってきました。その経験から、自然の恵みに感謝する一方、それを畏れる気質みたいなものも同時に生まれ、やがてそれが八百万の神信仰に繋がり、代々継承されてきたといっても決して的外れではないと思いますし、その経験を踏まえ、建築技術や農作物の栽培技術などが向上した。食文化が変貌し枝葉を伸ばした。したという側面も間違いなくあるはずです。
よって、日本文化の起源・・・と言うのならば、経線、緯度、海流、風向き等から逆算して、現在の位置に創った。というところから始めないと、随分片手落ちだと思います。日本を取り巻く気象や、極論すれば、天体の運動までも自分達の都合で決めているとしなければ、話の整合性がとれません。必然的に理論の著しい飛躍や論点ズラし。自分勝手な議論に躍起にならざるを得ません。
要するに、人間不在の議論でコト足りる、創造主(=神)でないと辻褄が合わなくなるわけです。
世界人=万物の創造主気取りってか。
ま、それはそれで文化(=生き方、クセ)なんだろうけれども、極めて危険なクセではあります。自分に絶対服従を宣言しているようなものですから。
文化というものを、一言で表すなら、貴賎問わず民族単位のクセだと考えています。それがたまたま客体化及び具現化したものが、国宝や重要文化財級の文化遺産であり、ざっくり言えば、有力とはいえ、その時代を掴むに好都合というだけに過ぎません。もっとも、それを学ぶことは有益なわけですが。
忘れてはならないのは、文化遺産として残っていない、親子の関係とか風俗、食べ物の類といった、生活の基盤となる平凡なものこそが文化なのです。
それは、何代も受け継がれてきて初めて、クセたる文化と呼べる代物となりますし、そこには、必然的に人間の営みというものが介在してきます。理屈ではなく、非論理の押し付けがあって、初めてそれが形成されるとしても良いでしょう。そして、そのクセの正当性は民族固有の歴史によって担保されます。文化とは生き方をも指します。それを矯正させられることには、物凄く抵抗を覚えるのです。各個人にあるクセと同様です。当たり前のことですが、突然に地から湧き出したり、空から降ってくるものではありません。
それを形づくるのに重要な役割を果たすのが、気候風土です。日本は豊かな自然に恵まれている反面、地震・台風・大雨・雪害・火山の噴火等の様々な天災に昔から幾度も遭ってきました。その経験から、自然の恵みに感謝する一方、それを畏れる気質みたいなものも同時に生まれ、やがてそれが八百万の神信仰に繋がり、代々継承されてきたといっても決して的外れではないと思いますし、その経験を踏まえ、建築技術や農作物の栽培技術などが向上した。食文化が変貌し枝葉を伸ばした。したという側面も間違いなくあるはずです。
よって、日本文化の起源・・・と言うのならば、経線、緯度、海流、風向き等から逆算して、現在の位置に創った。というところから始めないと、随分片手落ちだと思います。日本を取り巻く気象や、極論すれば、天体の運動までも自分達の都合で決めているとしなければ、話の整合性がとれません。必然的に理論の著しい飛躍や論点ズラし。自分勝手な議論に躍起にならざるを得ません。
要するに、人間不在の議論でコト足りる、創造主(=神)でないと辻褄が合わなくなるわけです。
世界人=万物の創造主気取りってか。
ま、それはそれで文化(=生き方、クセ)なんだろうけれども、極めて危険なクセではあります。自分に絶対服従を宣言しているようなものですから。
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