蒋介石と「復活日本軍」の決戦
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/10/01 00:20 投稿番号: [3127 / 85019]
蒋介石も、なんとも愛着の持ちようがありませんね。
仲間割れ、国共内戦、日本軍とは戦えば負け、国民党政府は腐敗と機能不全で、米国の軍事顧問団からは「戦争下手のピーナッツ」とのあだ名。
ただ、こちらはさすがの米国も「我々が投下したわけではなくて、勝手に台湾に逃げ込み、そのまま居座ってしまっただけ」というかもしれませんが・・・・・
終戦後すぐに、台湾接収に入り、台湾省として位置づけますが、経済は混乱、行政能力もなく、次々と混乱、没落、いつもの大陸中国人のお決まりのコース・・・・
1947年2月28日、タバコ売りの老女を国府軍の軍人が路上で殴打して金を奪ったことがきっかけで、台湾人は蜂起しました。
これに対して、国府軍は慣れたもの、路上で次々と発砲、機関銃まで乱射しました。それで簡単に「制圧」した、はずでした・・・
しかし、事はまたまたあらぬ方へ・・・・
突然、日本軍が現れたのです。国府軍は驚愕し、その見覚えのある軍服を見て、途端に逃げ、今度は自分達があちこちの建物に立てこもるはめにおちいります・・・・
1947年に台湾に日本軍が現れる?
しかし、突然現れた、精強な日本軍は紛れもなく歴戦の本物でした。
戦地から台湾に復員していた旧日本軍所属の台湾人元日本兵達が放送局を占拠して、台湾人の元日本軍人を招集。
所属していた部隊も陸海軍も関係なく、続々と数千人が終結。
日本軍の軍服・武器が国府側の倉庫にあり、それらを引き出してきて、たちまち大日本帝国軍人の復活。手に手に三八式歩兵銃を持ち、手早く、しかも優勢に国府軍を撃退していきました。街角には投降した国府軍兵士、そして日本語の万歳のこだま。
高砂義勇隊も山から降り、嘉義や台中で日本軍の軍服をつけて高砂義勇隊として再び戦いました。
中学生、高校生、、大学生も集まって、台湾独立治安隊、学生警察隊、何々学校隊を結成、学生隊と言えどもほとんどは日本の軍服を着て戦ったのです。
インドネシア、インドシナ、ビルマ、インドなどと同じ光景ですね、日本軍出身者が戦いの先頭に立つ・・・
台北、台中、高雄もこの「復活台湾人日本帝国陸軍」は次々と勝利しました。
蒋介石も必死になりました。まさかの敗退の報。しかもなぜか日本軍が復活して戦っている・・・・
台北も「陥落」すると聞いて、行き場がなくなる恐怖から、精鋭の中国陸軍第二十一師団と憲兵第四団がダムダム弾装備の銃を大量に装備して、高雄と基隆へ同時に上陸。砲撃と軽戦車、装甲車を先頭に反撃しました。これには、さしもの台湾製「大日本帝国軍」も苦戦に転じました。
僅か数ヶ月で、台湾人の死者、2万8,000人余・・・・・・
原子爆弾二個分の死者でした。
旧日本軍人達は、日本に向けても援軍を求めた無線を発信しましたが、返答はなかったそうです。
肝心の蒋介石も、この復活日本軍との戦いは、米国でもあますところなく伝えられたものですから、49年には米国の議会で、「中国報告」の中で、名指しで、無能、腐敗、残虐、虚言癖、大陸や台湾での虐殺を指摘され、完全に見捨てられます。排除の日程すら討議されておりました。
しかし、残念なことに、50年6月に金日成が朝鮮動乱の火ぶたを切ったため、排除は取りやめとなってしまいました・・・
朝鮮で金日成が戦争を始めさえしなければ、復活日本軍の犠牲は、本当の勝利となって解放はまづ確実だった、というのに!残念なことです。
そして、そこから38年に及ぶ戒厳令、恐怖の圧政が始まりました。
仲間割れ、国共内戦、日本軍とは戦えば負け、国民党政府は腐敗と機能不全で、米国の軍事顧問団からは「戦争下手のピーナッツ」とのあだ名。
ただ、こちらはさすがの米国も「我々が投下したわけではなくて、勝手に台湾に逃げ込み、そのまま居座ってしまっただけ」というかもしれませんが・・・・・
終戦後すぐに、台湾接収に入り、台湾省として位置づけますが、経済は混乱、行政能力もなく、次々と混乱、没落、いつもの大陸中国人のお決まりのコース・・・・
1947年2月28日、タバコ売りの老女を国府軍の軍人が路上で殴打して金を奪ったことがきっかけで、台湾人は蜂起しました。
これに対して、国府軍は慣れたもの、路上で次々と発砲、機関銃まで乱射しました。それで簡単に「制圧」した、はずでした・・・
しかし、事はまたまたあらぬ方へ・・・・
突然、日本軍が現れたのです。国府軍は驚愕し、その見覚えのある軍服を見て、途端に逃げ、今度は自分達があちこちの建物に立てこもるはめにおちいります・・・・
1947年に台湾に日本軍が現れる?
しかし、突然現れた、精強な日本軍は紛れもなく歴戦の本物でした。
戦地から台湾に復員していた旧日本軍所属の台湾人元日本兵達が放送局を占拠して、台湾人の元日本軍人を招集。
所属していた部隊も陸海軍も関係なく、続々と数千人が終結。
日本軍の軍服・武器が国府側の倉庫にあり、それらを引き出してきて、たちまち大日本帝国軍人の復活。手に手に三八式歩兵銃を持ち、手早く、しかも優勢に国府軍を撃退していきました。街角には投降した国府軍兵士、そして日本語の万歳のこだま。
高砂義勇隊も山から降り、嘉義や台中で日本軍の軍服をつけて高砂義勇隊として再び戦いました。
中学生、高校生、、大学生も集まって、台湾独立治安隊、学生警察隊、何々学校隊を結成、学生隊と言えどもほとんどは日本の軍服を着て戦ったのです。
インドネシア、インドシナ、ビルマ、インドなどと同じ光景ですね、日本軍出身者が戦いの先頭に立つ・・・
台北、台中、高雄もこの「復活台湾人日本帝国陸軍」は次々と勝利しました。
蒋介石も必死になりました。まさかの敗退の報。しかもなぜか日本軍が復活して戦っている・・・・
台北も「陥落」すると聞いて、行き場がなくなる恐怖から、精鋭の中国陸軍第二十一師団と憲兵第四団がダムダム弾装備の銃を大量に装備して、高雄と基隆へ同時に上陸。砲撃と軽戦車、装甲車を先頭に反撃しました。これには、さしもの台湾製「大日本帝国軍」も苦戦に転じました。
僅か数ヶ月で、台湾人の死者、2万8,000人余・・・・・・
原子爆弾二個分の死者でした。
旧日本軍人達は、日本に向けても援軍を求めた無線を発信しましたが、返答はなかったそうです。
肝心の蒋介石も、この復活日本軍との戦いは、米国でもあますところなく伝えられたものですから、49年には米国の議会で、「中国報告」の中で、名指しで、無能、腐敗、残虐、虚言癖、大陸や台湾での虐殺を指摘され、完全に見捨てられます。排除の日程すら討議されておりました。
しかし、残念なことに、50年6月に金日成が朝鮮動乱の火ぶたを切ったため、排除は取りやめとなってしまいました・・・
朝鮮で金日成が戦争を始めさえしなければ、復活日本軍の犠牲は、本当の勝利となって解放はまづ確実だった、というのに!残念なことです。
そして、そこから38年に及ぶ戒厳令、恐怖の圧政が始まりました。
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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