中国=中華民国の不思議
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/30 01:52 投稿番号: [3110 / 85019]
こちらではすでに何人かの方が台湾の事に触れられて、日本が中国を大事にして台湾を認めないのはおかしいのではないか?と嘆いておられます。
確かに、その通りではありますが・・・・・・
72年に日本は、田中角栄氏が首相になって日中国交正常化をいたしますが、その際の外務大臣は大平正芳氏(自民党では台湾派)でした。
当時、大平氏と、外務省の高島益郎条約局長、橋本中国課長らが折衝の前面に立ちましたが、
中国が求めた①中国は一つ、②台湾は中国領土、③台湾との日華条約の破棄(三原則)、を求めていました。
これに対して、日本が最終的に認めたのは、①のみ、②は、中国の主張を理解はする、③は大平外相が追って談話発表(早急にはやらないとの発表予定)、となりました。
この間、高島条約局長は、中国による台湾領有権の否定、台湾との即時国交断絶はせず、という日本側原則を断固として曲げなかったため、まず周恩来が激昂。中国側は高島局長個人が、交渉の「障害」「法匪」であるとして、一時、退去命令を出します。
それでも曲折の後、交渉が終わって、72年9月29日、友好平和条約締結が発表されると、台湾の蒋介石は同日付で、日本との国交断絶を対抗して発表。
要するに、日本側は中国との国交正常化、平和条約締結にこぎつけつつも、台湾の件も決して妥協はしておりません。このあたりは新聞でさえよく間違えていますが、日本はこの件についても他国に比べても不必要な妥協はしていません。
断交の件も台湾側からの一方的通告の結果です。
周恩来氏が後に、高島局長はまさに「法匪」だ、そして、もし中国にもあのような「法匪」がいれば国家は安泰だ、といった逸話は有名です。この頃までの外務省はむしろ褒められて良いと思います。
さらに、大平氏は台湾に対して、その前に、自民党日華青年交流会担当の職員、松本あや彦氏を密使として送り、在台邦人の保護、民間交流の存続などの予備折衝をします。追って椎名悦三郎氏が特使として台湾側との交渉し、目的を達しました。
その後も国交こそないものの、何故か穏やかな関係は続いたのもこのあたりの日本の政治家の手腕のたまものではありますね。
しかし、これに対しても、蒋介石側は、追って一方的に台湾における日本側民間資産の凍結(という名前の没収)に踏み切ります。その金額は現在の価値で1兆5,00億円!
日本と、好対照なのが、イギリスと韓国でしょう。
イギリスは誰に頼まれたわけでもなく、自国の香港の利益を優先して、一方的に中共の承認、外交関係の確立、台湾との断交を推し進めました。日米よりも二十年以上も早く、1950年でした。
韓国も92年に一方的に通告、これには台湾では政府だけでなく、国民も怒りました。僅か数ヶ月前に台湾との貿易強化策を共同策定し、それに沿って、自動車、電子機器などを多量に台湾に売りつけてから突然通告したからです。台湾では、断交よりも、この「国際取り込み詐欺」?の方が騒がれました。
長いので、続く
確かに、その通りではありますが・・・・・・
72年に日本は、田中角栄氏が首相になって日中国交正常化をいたしますが、その際の外務大臣は大平正芳氏(自民党では台湾派)でした。
当時、大平氏と、外務省の高島益郎条約局長、橋本中国課長らが折衝の前面に立ちましたが、
中国が求めた①中国は一つ、②台湾は中国領土、③台湾との日華条約の破棄(三原則)、を求めていました。
これに対して、日本が最終的に認めたのは、①のみ、②は、中国の主張を理解はする、③は大平外相が追って談話発表(早急にはやらないとの発表予定)、となりました。
この間、高島条約局長は、中国による台湾領有権の否定、台湾との即時国交断絶はせず、という日本側原則を断固として曲げなかったため、まず周恩来が激昂。中国側は高島局長個人が、交渉の「障害」「法匪」であるとして、一時、退去命令を出します。
それでも曲折の後、交渉が終わって、72年9月29日、友好平和条約締結が発表されると、台湾の蒋介石は同日付で、日本との国交断絶を対抗して発表。
要するに、日本側は中国との国交正常化、平和条約締結にこぎつけつつも、台湾の件も決して妥協はしておりません。このあたりは新聞でさえよく間違えていますが、日本はこの件についても他国に比べても不必要な妥協はしていません。
断交の件も台湾側からの一方的通告の結果です。
周恩来氏が後に、高島局長はまさに「法匪」だ、そして、もし中国にもあのような「法匪」がいれば国家は安泰だ、といった逸話は有名です。この頃までの外務省はむしろ褒められて良いと思います。
さらに、大平氏は台湾に対して、その前に、自民党日華青年交流会担当の職員、松本あや彦氏を密使として送り、在台邦人の保護、民間交流の存続などの予備折衝をします。追って椎名悦三郎氏が特使として台湾側との交渉し、目的を達しました。
その後も国交こそないものの、何故か穏やかな関係は続いたのもこのあたりの日本の政治家の手腕のたまものではありますね。
しかし、これに対しても、蒋介石側は、追って一方的に台湾における日本側民間資産の凍結(という名前の没収)に踏み切ります。その金額は現在の価値で1兆5,00億円!
日本と、好対照なのが、イギリスと韓国でしょう。
イギリスは誰に頼まれたわけでもなく、自国の香港の利益を優先して、一方的に中共の承認、外交関係の確立、台湾との断交を推し進めました。日米よりも二十年以上も早く、1950年でした。
韓国も92年に一方的に通告、これには台湾では政府だけでなく、国民も怒りました。僅か数ヶ月前に台湾との貿易強化策を共同策定し、それに沿って、自動車、電子機器などを多量に台湾に売りつけてから突然通告したからです。台湾では、断交よりも、この「国際取り込み詐欺」?の方が騒がれました。
長いので、続く
これは メッセージ 3109 (zerojager32 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/552019565/4z9q_1/3110.html