Re: kotefunoyumee へ申す!
投稿者: oyajitti3 投稿日時: 2006/11/21 13:50 投稿番号: [30428 / 85019]
>しかし、あなた達、ソース、ソースって言うけど、3流にも満たない幼稚な韓国の新聞社のソース使って何を言ってる!まして、へたくそな、日本語に訳された記事だ。そんな韓国記事、ソースに使うなら、我輩の投稿文をソースとして使いなさい。
客観的な事実の提示に対して同様な事実を用いての反論もせずにとにかく俺が事実だ俺が事実だ…
韓国の歴史認識もこのような発想だと思われますが?
後、所謂ウリナラ起源の話なんですけど
起源に対し異様なまでの偏執を持ったウリナラ起源思想は文化的な後遺症と違いますか?
被支配者として優れた文化からの支配受け入れ続けた朝鮮半島では、文化の、それも起源に対するコンプレックスが知らず知らずの内に蓄積していった。
何しろ優れた文化や文明は常に強大な隣国であり時に支配者であった歴代の中国王朝から齎され続けてきましたから。
借り物の文化、幸い日本は海を隔てて一定の距離を置けました。文化の冷却期間というか食休みと言うか、受け入れたものを消化するだけの時間がありました。しかし朝鮮半島では無理だったでしょうね。次から次へ、さながらフォアグラのガチョウのごとく流入する文化。被支配者はひたすらな模倣を繰り返さざるを得なかった。独自の文化がなかったとは言いませんが、それは同族内に於いても支配者層(歴代中国王朝)が認めた姿でしか評価されなかった。
隣国の王朝は代わるが程度の差こそあれ、文化の流入も支配の原則も変わらなかった。朝鮮半島では借り物である文化への民族的なコンプレックスと同時に模倣に対する感覚の鈍磨が起きて行った。模倣へのハードルの低さは日本も否めませんが、日本は受け入れたものに改良や改善によって独自のアレンジを施し、時にそれは元の品物を凌駕する時もあります。そういう眼で見れば日本はアレンジの文化ともいえますかね。逆に言うと日本にとって”優れたものが他にある”という発想は非常な刺激になるのではないでしょうか。これは個人的な発想ですが。
さてウリナラ起源思想ですが、近年の発展に伴って、中国を一つの国として捉えられそうだと自信を持った時、彼らを覆っていた中華の蓋が外れ、逆に蓄積していた借り物文化コンプレックスがメタンガスのごとく浮かび上がってきたのではありませんか。
起源が自分たちにある、と言う願望は発展や改良、一般化が自分たちの手ではないにしろ、それらは用いるに於いて「借り物ではない」と考える(コンプレックスに眼をつぶれる)事が出来ますから。
起源に対する異様なこだわり、にも関わらず近代国家を名乗るには余りにも無頓着な模倣に対する意識の低さ。(未だに”ただの模倣”を止めないのは何故?)そして日本文化の”流入”に対する”怯え”。それらにある種病的な物、大げさに言えば危うさを見るのは自分だけではないでしょう。
客観的な事実の提示に対して同様な事実を用いての反論もせずにとにかく俺が事実だ俺が事実だ…
韓国の歴史認識もこのような発想だと思われますが?
後、所謂ウリナラ起源の話なんですけど
起源に対し異様なまでの偏執を持ったウリナラ起源思想は文化的な後遺症と違いますか?
被支配者として優れた文化からの支配受け入れ続けた朝鮮半島では、文化の、それも起源に対するコンプレックスが知らず知らずの内に蓄積していった。
何しろ優れた文化や文明は常に強大な隣国であり時に支配者であった歴代の中国王朝から齎され続けてきましたから。
借り物の文化、幸い日本は海を隔てて一定の距離を置けました。文化の冷却期間というか食休みと言うか、受け入れたものを消化するだけの時間がありました。しかし朝鮮半島では無理だったでしょうね。次から次へ、さながらフォアグラのガチョウのごとく流入する文化。被支配者はひたすらな模倣を繰り返さざるを得なかった。独自の文化がなかったとは言いませんが、それは同族内に於いても支配者層(歴代中国王朝)が認めた姿でしか評価されなかった。
隣国の王朝は代わるが程度の差こそあれ、文化の流入も支配の原則も変わらなかった。朝鮮半島では借り物である文化への民族的なコンプレックスと同時に模倣に対する感覚の鈍磨が起きて行った。模倣へのハードルの低さは日本も否めませんが、日本は受け入れたものに改良や改善によって独自のアレンジを施し、時にそれは元の品物を凌駕する時もあります。そういう眼で見れば日本はアレンジの文化ともいえますかね。逆に言うと日本にとって”優れたものが他にある”という発想は非常な刺激になるのではないでしょうか。これは個人的な発想ですが。
さてウリナラ起源思想ですが、近年の発展に伴って、中国を一つの国として捉えられそうだと自信を持った時、彼らを覆っていた中華の蓋が外れ、逆に蓄積していた借り物文化コンプレックスがメタンガスのごとく浮かび上がってきたのではありませんか。
起源が自分たちにある、と言う願望は発展や改良、一般化が自分たちの手ではないにしろ、それらは用いるに於いて「借り物ではない」と考える(コンプレックスに眼をつぶれる)事が出来ますから。
起源に対する異様なこだわり、にも関わらず近代国家を名乗るには余りにも無頓着な模倣に対する意識の低さ。(未だに”ただの模倣”を止めないのは何故?)そして日本文化の”流入”に対する”怯え”。それらにある種病的な物、大げさに言えば危うさを見るのは自分だけではないでしょう。
これは メッセージ 30412 (elgfaret さん)への返信です.
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