戦犯裁判と、軽薄愚劣な現代の朝鮮人
投稿者: utsukusiikuninihonn 投稿日時: 2004/09/25 03:08 投稿番号: [2933 / 85019]
戦争犯罪人、刑死・・・・・・連合国、ことに白人国家と中国による残酷な意趣返しの生け贄の祭り、そういうところからしか出てこない言葉の数々・・・
連中はそんなものですね。
だが、最も愚劣、軽薄だと、私が思うのは朝鮮人であり、韓国、北朝鮮です。
以下は、朝鮮出身の洪思翊陸軍中将の件と、19歳で不遇なる死、しかし、民族に光りをもたらし、人間の尊厳を教える死を遂げた朴成根少年兵の例です。
http://www.tamanegiya.com/kousyoubunn.html
一方は、
「 再度インドネシアを植民地にしようとするオランダ軍によって不当極まりない 軍事裁判の中に朝鮮人兵士朴成根少年が無実の捕虜虐待の罪で被告席に立たされていた。
裁判とは程遠いものだった。馬渕逸男司令官代理が気の毒に思い裁判の合間に面会に行った。
「真に気の毒な結末となって相すまぬ」というと「なあに運命ですよ。ここでは正邪曲直は通りません。覚悟は決めていますから平気です。堂々と戦います」ときっぱり答えたという。
単なる復讐劇だからまともな判決が出るはずもなく朴少年も死刑の判決を受けた。
父親の代理ということで馬渕少将が死刑の直前朴少年に面会した。
「戦争が負けたばかりに君にこんな目にあわせて何とも申し訳ない」と云うと少年は 「何、仇に裁かれては仕方ない。しかし、アジアは独立しますよ。日本の勝ちですよ。おかげで朝鮮も独立できます」最後に愛国行進曲を歌うといって少年は歌い始めた。
少将は聞いていて涙がこぼれたという。そして少年は
「私は一人息子で姉一人妹一人。親にかわいがられて育った。父は亡くなり姉は嫁いだ。母は私の死を悲しむだろう。妹に私に代わって孝行して呉れと、(少将に同行した朝鮮の友人に)遺言を頼みました」と云った。
制限時間はとっくにすぎたので千万無量の手を握り合って訣れたが。彼の瞳は澄み、
「もう、これで思い残すことはない」と云った。
処刑にあたっては卑劣なオランダ人の兵士達の前で威風堂々とした態度であったという。
刑木に縛られる前に見物人を一わたり見渡し、
「大韓国独立万歳、万歳、万歳」と偉大なる祈りを三唱した。
ときに昭和二十二年一月、朴成根少年享年十九歳。 」
上も同じHPの中にあります(素晴らしいHPですね!)
ーーーーーーーーー
こういった例は私が知る限り、100件以上、記録として残されております。朝鮮出身の兵士の中には特攻隊員として栄誉の中に散華された方々とともに、洪思翊陸軍中将も、朴成根少年兵も、まことに立派な朝鮮人の誇りであるべきでしょう。
にもかかわらず、中国や朝日新聞の尻馬に乗り、軽薄に、その大統領までが軽薄な動きを諫めるどころか、一緒になって「戦争犯罪」や靖国神社のことをとやかくしゃべりちらす。
時に、本当に彼らが哀れに思えてならない時があります。救いようがない、軽薄にして愚かとしか言いようがない、と。
戦争犯罪の名を押しつけられ、無実のまま、生け贄として殺されたのは日本人と朝鮮人なのですからね!
大して戦いもしなかったまやかしの英雄、李瞬臣の巨大な銅像など、ソウルから撤去し、代わりにこのお二人の銅像を建てて、思いをいたせば少しはまともな国になろうかと思います。
どうしたら、どこまで愚劣になれば、人ごとのように話せるのでしょう?朝鮮人も「被告席」の側にいたと言うのに!
連中はそんなものですね。
だが、最も愚劣、軽薄だと、私が思うのは朝鮮人であり、韓国、北朝鮮です。
以下は、朝鮮出身の洪思翊陸軍中将の件と、19歳で不遇なる死、しかし、民族に光りをもたらし、人間の尊厳を教える死を遂げた朴成根少年兵の例です。
http://www.tamanegiya.com/kousyoubunn.html
一方は、
「 再度インドネシアを植民地にしようとするオランダ軍によって不当極まりない 軍事裁判の中に朝鮮人兵士朴成根少年が無実の捕虜虐待の罪で被告席に立たされていた。
裁判とは程遠いものだった。馬渕逸男司令官代理が気の毒に思い裁判の合間に面会に行った。
「真に気の毒な結末となって相すまぬ」というと「なあに運命ですよ。ここでは正邪曲直は通りません。覚悟は決めていますから平気です。堂々と戦います」ときっぱり答えたという。
単なる復讐劇だからまともな判決が出るはずもなく朴少年も死刑の判決を受けた。
父親の代理ということで馬渕少将が死刑の直前朴少年に面会した。
「戦争が負けたばかりに君にこんな目にあわせて何とも申し訳ない」と云うと少年は 「何、仇に裁かれては仕方ない。しかし、アジアは独立しますよ。日本の勝ちですよ。おかげで朝鮮も独立できます」最後に愛国行進曲を歌うといって少年は歌い始めた。
少将は聞いていて涙がこぼれたという。そして少年は
「私は一人息子で姉一人妹一人。親にかわいがられて育った。父は亡くなり姉は嫁いだ。母は私の死を悲しむだろう。妹に私に代わって孝行して呉れと、(少将に同行した朝鮮の友人に)遺言を頼みました」と云った。
制限時間はとっくにすぎたので千万無量の手を握り合って訣れたが。彼の瞳は澄み、
「もう、これで思い残すことはない」と云った。
処刑にあたっては卑劣なオランダ人の兵士達の前で威風堂々とした態度であったという。
刑木に縛られる前に見物人を一わたり見渡し、
「大韓国独立万歳、万歳、万歳」と偉大なる祈りを三唱した。
ときに昭和二十二年一月、朴成根少年享年十九歳。 」
上も同じHPの中にあります(素晴らしいHPですね!)
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こういった例は私が知る限り、100件以上、記録として残されております。朝鮮出身の兵士の中には特攻隊員として栄誉の中に散華された方々とともに、洪思翊陸軍中将も、朴成根少年兵も、まことに立派な朝鮮人の誇りであるべきでしょう。
にもかかわらず、中国や朝日新聞の尻馬に乗り、軽薄に、その大統領までが軽薄な動きを諫めるどころか、一緒になって「戦争犯罪」や靖国神社のことをとやかくしゃべりちらす。
時に、本当に彼らが哀れに思えてならない時があります。救いようがない、軽薄にして愚かとしか言いようがない、と。
戦争犯罪の名を押しつけられ、無実のまま、生け贄として殺されたのは日本人と朝鮮人なのですからね!
大して戦いもしなかったまやかしの英雄、李瞬臣の巨大な銅像など、ソウルから撤去し、代わりにこのお二人の銅像を建てて、思いをいたせば少しはまともな国になろうかと思います。
どうしたら、どこまで愚劣になれば、人ごとのように話せるのでしょう?朝鮮人も「被告席」の側にいたと言うのに!
これは メッセージ 2924 (livinmoon さん)への返信です.
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