Re: 日本市民憲法 多民族多文化共生
投稿者: minzoku_sabetukinshi 投稿日時: 2006/04/22 12:23 投稿番号: [23650 / 85019]
>こう言っては何だが、世界で、在日朝鮮韓国人を最も差別しているのは朝鮮半島人ですよ。かの大統領様は「民族の裏切り者」とまで言っております。
韓国は日本より、民主主義・平和主義・人権・ジェンダー等の分野で遅れている国家である。それゆえ日本と比較すれば、まだまだ変な法律や制度が残っているのである。
>>(地球市民的憲法)前文
>>地球市民的想像力によって選ばれた代表者
>>地球市民的価値観のもたらす自由
>>その権威は地球市民的であり
>>その権力は地球市民的を前提に行使され
>>その福利は地球市民的に共有される
>多用される「地球市民的」。
まずは、この定義を教えて頂きたい。
まずは民主党憲法提言中間報告を読んでみよう。
民主党「憲法提言中間報告」(要約版)より引用
「第3に、環境権、自己決定権、子どもの発達の権利、少数民族の権利など、21世紀型の 新しい権利の台頭は、人間の尊厳が、国家の枠を超えて保障されるべきものであるとの「 地球市民的価値」を定着させてきている。」
「第4に、世界において人間一人ひとりの力が急速に上昇し、情報化技術によって地球規模のネットワークを生み出して、言わば人と人を横に結ぶ「連帯革命」が生まれている。あるいはまた、世界的傾向としての「分権革命」の運動となっている。
こうした大きな眺望の下に立つとき、いま私たちが試みなければならない憲法論議の質が、懐古的な改憲論や守旧的な護憲論にとどまるものでないことは明らかである。いま必要なのは、こうした歴史の大転換に応えて<前に向かって>歩み出す勇気と、日本が国際社会の先陣を切る決意で、21世紀の新時代のモデルとなる、新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力>である。」
地球市民的価値・地球市民的想像力、双方に共通するもの、一つは「国家の枠の超越」であり、もう一つは「ヒトの連帯」である。このことから「地球市民的」とは、国家の枠を超越してヒトが連帯することであることが伺える。また「地球市民」の説明においても、「異なる文化や歴史を、一人の人として互いに尊重し、理解しあい、認め合う意識を持った人々、」とある。
つまり、地球市民的を簡単に説明するならば「多民族多文化共生的」となるのである。ただ定義付けについては、地球市民的大理想が新たな発展段階を迎える可能性に満ちているため、直ちには出来ないと断っておく。
しかし定義づけが成されていないからといって、日本市民憲法の前文に用いるは不適当であるとはならないものと考える。なぜなら私の日本市民憲法前文は地球市民的な希望に満ち溢れたものであり、その地球市民的な希望を用いることで21世紀型の憲法創造を行おうとしているからである。
韓国は日本より、民主主義・平和主義・人権・ジェンダー等の分野で遅れている国家である。それゆえ日本と比較すれば、まだまだ変な法律や制度が残っているのである。
>>(地球市民的憲法)前文
>>地球市民的想像力によって選ばれた代表者
>>地球市民的価値観のもたらす自由
>>その権威は地球市民的であり
>>その権力は地球市民的を前提に行使され
>>その福利は地球市民的に共有される
>多用される「地球市民的」。
まずは、この定義を教えて頂きたい。
まずは民主党憲法提言中間報告を読んでみよう。
民主党「憲法提言中間報告」(要約版)より引用
「第3に、環境権、自己決定権、子どもの発達の権利、少数民族の権利など、21世紀型の 新しい権利の台頭は、人間の尊厳が、国家の枠を超えて保障されるべきものであるとの「 地球市民的価値」を定着させてきている。」
「第4に、世界において人間一人ひとりの力が急速に上昇し、情報化技術によって地球規模のネットワークを生み出して、言わば人と人を横に結ぶ「連帯革命」が生まれている。あるいはまた、世界的傾向としての「分権革命」の運動となっている。
こうした大きな眺望の下に立つとき、いま私たちが試みなければならない憲法論議の質が、懐古的な改憲論や守旧的な護憲論にとどまるものでないことは明らかである。いま必要なのは、こうした歴史の大転換に応えて<前に向かって>歩み出す勇気と、日本が国際社会の先陣を切る決意で、21世紀の新時代のモデルとなる、新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力>である。」
地球市民的価値・地球市民的想像力、双方に共通するもの、一つは「国家の枠の超越」であり、もう一つは「ヒトの連帯」である。このことから「地球市民的」とは、国家の枠を超越してヒトが連帯することであることが伺える。また「地球市民」の説明においても、「異なる文化や歴史を、一人の人として互いに尊重し、理解しあい、認め合う意識を持った人々、」とある。
つまり、地球市民的を簡単に説明するならば「多民族多文化共生的」となるのである。ただ定義付けについては、地球市民的大理想が新たな発展段階を迎える可能性に満ちているため、直ちには出来ないと断っておく。
しかし定義づけが成されていないからといって、日本市民憲法の前文に用いるは不適当であるとはならないものと考える。なぜなら私の日本市民憲法前文は地球市民的な希望に満ち溢れたものであり、その地球市民的な希望を用いることで21世紀型の憲法創造を行おうとしているからである。
これは メッセージ 23643 (darumasangakoronga さん)への返信です.
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