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Re: いつの時代も

投稿者: punzen_fun 投稿日時: 2006/04/02 09:31 投稿番号: [22704 / 85019]
>戦争を始めるのは男の人。
    戦争を憎むのは女、子供。<。

とは限らん。フォークランド紛争を武力解決する決断をしたのはサッチャーだよ。
この紛争は、関係国の内政問題が領土問題に絡んでいるという点で、日本と中韓の尖閣・竹島問題の将来を予見させるね。
背景がよく似ている。

『ウィキペディア(Wikipedia)』よりフォークランド紛争の背景
<アルゼンチン情勢>
第二次世界大戦後、それまでの直接交渉から国連を通じた交渉によりフォークランド諸島の返還を求めていた。これに対してイギリスも条件付ながら返還を認めるとしてきたが、アルゼンチンはあくまで無条件返還を求めたため平行線を辿り難航していた。
アルゼンチンは1950年代までは先進国並みの生活水準を誇っていたものの、フアン・ペロン元大統領派と軍部による20年以上にも及ぶ政治の混乱が、国民生活を深刻な状況に陥れていた。1976年に誕生した軍事政権は、当初よりしばしばフォークランド諸島に対する軍事行動をちらつかせてはいたものの、実際に行動を起こすまでには至らなかったが、国内的には元大統領派を徹底的に弾圧し、3万人が行方不明になったといわれる。こういった政争に明け暮れる政権に対し、民衆の不満はいよいよ頂点に達しようとしていた。
そんな状況下で軍事政権を引き継いだ陸軍のガルチェリ将軍は、民衆の不満をそらすために必然的ともいえる選択肢を選んだ。フォークランド諸島問題を煽ることで、国内の反体制の矛先を外に向けようとしたのである。

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イギリス情勢
陽の落ちることが無いとまで言われたかつての大英帝国の威勢は跡形も無く、長引く不況や硬直した政治制度による深刻な財政難に悩まされていた。フォークランド諸島はイギリス本国への羊毛の輸出でどうにか成り立っており、島自体の価値は相対的に低かったが、南極における資源開発の可能性が指摘され始めてから前哨基地としての戦略拠点としての価値がにわかに高まっていた。

そのような情勢下で改革を期待され、しかも初の女性首相となったサッチャーにとって、安易な妥協や譲歩は許されない状況であった。イギリスは従来の立場を一変してフォークランド諸島の条件付返還を撤回、態度を硬化させた。

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両国の衝突
1982年、アルゼンチンではフォークランド諸島問題が過熱ぎみになり、民衆の間では政府がやらないなら義勇軍を組織してフォークランド諸島を奪還しようという動きにまで発展した。政府は沈静化へのコメントを出すものの、3月には海軍の補給艦がフォークランド諸島の南東約1300kmにある同じく英領となっていたサウスジョージア島に2度にわたって寄航し、イギリスに無断で民間人を上陸させるなどして武力行使への動きを見せ始めた。イギリスはこれを強制退去させるなどしていたが、ガルチェリが正規軍を動かし始めたとの報せを受けて、4月1日にはアメリカに事態収拾への仲介を要請、しかし翌2日にはアルゼンチンの陸軍4000名がフォークランド諸島に上陸したことで武力紛争化は決定的となった。

これに対しサッチャーは直ちにアルゼンチンとの国交断絶を通告し艦隊の派遣を命じた。4月5日には早くも第一陣が出撃した。到着までの間、アメリカの仲介による事態の打開が模索されていたが、サッチャーの「我々は武力解決の道を選択する。」との決断で25日にはフォークランド諸島に続いて占領されていたサウスジョージア島に逆上陸、即日奪還した。終始苦しい戦いを強いられていたイギリスではあったが、地力に勝る海軍力をもってアルゼンチンの戦力を徐々に削っていき、6月7日にはフォークランド諸島に地上部隊を上陸させ、民間人の死者を伴う激しい地上戦を経て14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏、戦闘は終結した。
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