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また間抜けな日本人が日本を陥れている

投稿者: fujiusb2005 投稿日時: 2005/07/01 23:21 投稿番号: [13934 / 85019]
中央日報   7月1日:日本、1989年に初めて地図に竹島と表記

「日本政府が、国家機関が製作した地図に独島(日本名:竹島)を自国の領土として記載したのは1989年からだったということが確認された。

17世紀中盤から1988年まで、日本政府が作成した各種官認地図に独島は1つも記載されていなかった。これは世宗大学日本語学科の保坂裕二教授が30日に発売した月刊ネクスト7月号「日本官認地図に独島はなかった」という寄稿文とともに掲載した関連地図を通じて明らかになったもの。

これは独島(竹島)が長い間自国領土だったとする日本側の主張が虚構であることを立証する有力な資料になるものとみられている。
独島問題を研究してきた保坂教授は「日本政府機関の国土地理院は、竹島(独島)を島根県付属の島しょの1つだと主張しているが、88年まで官認地図には入っていない上、翌年の89年になってようやく竹島(独島)を隠岐諸島の行政地図に明記している」と述べた。 」


↓外務省ホームページ

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

  以下のような歴史的事実に照らして、我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的支配に基づき竹島の領有権を確立していたと考えられ、1905年(明治38年)以降も、閣議決定に基づいて近代国家として竹島を領有する意志を再確認した上で、同島を実効的に支配してきた。

(イ) 日本は古くより竹島(当時の「松島」)を認知していた。このことは多くの文献、地図等により明白である。
(注:経緯線投影の刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年)では現在の竹島を位置関係を正しく記載している。その他にも明治に至るまで多数の資料あり。)

(ロ) 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた。

(ハ) 1696年、鬱陵島周辺の漁業を巡る日韓間の交渉の結果、幕府は鬱陵島への渡航を禁じたが(「竹島一件」)、竹島への渡航は禁じなかった。

(ニ) 日本は1905年(明治38年)、1月の閣議決定に続き、2月の島根県告示により竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認している。その後、竹島は官有地台帳に掲載され、また、竹島でのアシカ漁は許可制となり、第二次大戦によって1941年(昭和16年)に中止されるまで続けられていた。
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