>> 愛国心は教える物か
投稿者: chopper8111362 投稿日時: 2005/05/14 12:52 投稿番号: [11326 / 85019]
くれよんさん、お久しぶりです。
愛知さん、はじめまして。
ちょっぱーです。
>>私は真の愛国心は教えて意識する物ではなく自ら意志で持つものだと思います。
>私の愛国心はいったい何時どうして、芽生えたのでしょう。
>誰にも強制されずとも、成長の過程で自然と身に付いたとも思えます。
学校教育で教えるべき事は、国旗国歌に対する礼儀作法だけでよいと思います。学校の教員に、これ以上のことを求める事は、彼等にとって荷が勝ちすぎます。教員も人間です。学校教員は様々なレベルの「個人」の集合体ですからね。
国旗を掲げるべき時に、国旗を掲げ、国歌を歌い上げるべき時に、正確に国歌を歌う。国旗国歌の取り扱いを、疎かにしない。他国の国旗国歌に対しても同様に敬意をはらう。これ等技術的な行動(行儀)以上のことを、学校教育に望む必要はありません。
国旗国歌に対する敬意や愛国心等の精神的な問題は、家庭で教えるべき事柄です。これも、難しいことではありません。親が、国旗国歌を大切にし、先人への感謝と、日本の文化の真髄たる皇室への敬意を持っていれば、愛国心は自ずと子弟へと伝わるはずですから。
では、具体的に愛国心とは何でしょうか?
人間の命は、何処の国に生まれようと、その個体の価値として、何ら差はありません。
では、僕と、他国で苦難にあえいでいる人々との差は何なのか?
その差は、僕がたまたま豊かな日本に生まれ、幸せに生活しているという、全くの偶然です。
この僥倖に驚き、豊かな日本を築いてくれた先人に感謝すること。そして、この豊かで幸福な国を、子供達に残したい。これが、僕の愛国心です。
(この話を、よく子供達にしています。)
尊敬し感謝するもの、守り伝えるべきもの、その対象をしっかりと見据えましょう。他国を揶揄し、他国の失策に快意を覚えることが愛国心であるとは決して思えませんよね。
くれよんさんには、読み飽きたであろう内容の投稿になりましたが、僕の久しぶりの投稿です。どうかお見逃し下さい。
長文トピずれ、失礼いたしました。
では。
愛知さん、はじめまして。
ちょっぱーです。
>>私は真の愛国心は教えて意識する物ではなく自ら意志で持つものだと思います。
>私の愛国心はいったい何時どうして、芽生えたのでしょう。
>誰にも強制されずとも、成長の過程で自然と身に付いたとも思えます。
学校教育で教えるべき事は、国旗国歌に対する礼儀作法だけでよいと思います。学校の教員に、これ以上のことを求める事は、彼等にとって荷が勝ちすぎます。教員も人間です。学校教員は様々なレベルの「個人」の集合体ですからね。
国旗を掲げるべき時に、国旗を掲げ、国歌を歌い上げるべき時に、正確に国歌を歌う。国旗国歌の取り扱いを、疎かにしない。他国の国旗国歌に対しても同様に敬意をはらう。これ等技術的な行動(行儀)以上のことを、学校教育に望む必要はありません。
国旗国歌に対する敬意や愛国心等の精神的な問題は、家庭で教えるべき事柄です。これも、難しいことではありません。親が、国旗国歌を大切にし、先人への感謝と、日本の文化の真髄たる皇室への敬意を持っていれば、愛国心は自ずと子弟へと伝わるはずですから。
では、具体的に愛国心とは何でしょうか?
人間の命は、何処の国に生まれようと、その個体の価値として、何ら差はありません。
では、僕と、他国で苦難にあえいでいる人々との差は何なのか?
その差は、僕がたまたま豊かな日本に生まれ、幸せに生活しているという、全くの偶然です。
この僥倖に驚き、豊かな日本を築いてくれた先人に感謝すること。そして、この豊かで幸福な国を、子供達に残したい。これが、僕の愛国心です。
(この話を、よく子供達にしています。)
尊敬し感謝するもの、守り伝えるべきもの、その対象をしっかりと見据えましょう。他国を揶揄し、他国の失策に快意を覚えることが愛国心であるとは決して思えませんよね。
くれよんさんには、読み飽きたであろう内容の投稿になりましたが、僕の久しぶりの投稿です。どうかお見逃し下さい。
長文トピずれ、失礼いたしました。
では。
これは メッセージ 11237 (kureyonjin さん)への返信です.
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