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避難民を最後まで全力で支援した関東軍

投稿者: bell45a 投稿日時: 2005/05/09 09:20 投稿番号: [11067 / 85019]
本屋で見た書籍でも、自分たちの戦闘食料さえ避難民に残らず供出した戦車隊の事や、【俺たちはもう助からないから、不要だ。みんなもっていけ】と食料や毛布をすべて避難民のところに軍用車でわざわざ何回も持ってきた航空隊や、砲兵隊の話し、或いは、トラックなども出して、避難民を駅まで送っていた歩兵隊の話しなどが多く書かれていて、今でも【あの兵隊さん達はどうなったのでしょう】と心配しているほどでした。

大体、そんなものだったのでしょう。

これに対して、逃げて、先に日本に帰ったとか、敗走したとか、参謀が馬鹿だったから、とか、悪質な嘘をつきまくり、執拗に言いつのる。

悪質、卑劣、異様、醜悪、そういった言葉しか思い浮かばない。

三一書房の本や、五味川純平のことも、多くの本でけなされていた(嘘を書いている、或いは、事実を歪曲していると)。

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(続きです。)


20日夕刻から始まった張家口からの【4万人脱出は駐蒙・関東軍と鉄道関係者の必死の努力】で、【21日夕刻にはあらかた完了】した。

丸一陣地にもその知らせがあり、辻田少佐はその夜、闇にまぎれて撤退しようと決心した。
【19日未明からのまる3日間ソ連軍を食い止め】て、消耗の極みに達し、もう一日ともたない状況だった。

まずトラックで、負傷者を送り出す。その後、1箇小隊づつ
隠密に陣地を離脱した。幸いにも【ソ連軍はすぐには追撃してこ
なかった】。
   【夜間の白兵戦で日本兵の強さに恐怖感を抱き、その
夜も夜襲を恐れて、前線から後退していたために、日本軍の撤
退に気がつかなかった】のである。また3日間の戦闘で【予想外の
大損害を受け、積極的進撃の意欲を失っていた】。

駐蒙軍の【野戦鉄道司令部は、引き揚げ列車への食料供給に苦心していた】。17日頃から【軍の倉庫にあった米や乾パンを沿線の各駅にトラックで大量に輸送】していた。

トラックに乾パンを満載して、【陸橋の上で待ちかまえ、通過する列車に次々と乾パンを投げ入れた。駅で停まると国防婦人会の人たちが炊き出しのおむすびを差し入れた】。

【豊の乗った列車が、一面のリンゴ畑を通ると、警備の日本兵
たちが駆け寄って、「元気で帰れよ」と口々に叫んで】は、リン
ゴをもいで列車に投げ入れてくれた。豊はその一つを受けとめ
た。赤いリンゴを噛みしめると、甘酸っぱい果汁が歯に染みた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

各方面、まったく比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの戦力差の戦闘で、それでも必死で、ソ連軍と八路軍を食い止めた関東軍。

この手記に書かれているように、停戦命令がありながら、命令違反と知りながらも、抗戦を決断して、そして、避難民を助けた日本軍司令官、参謀、将兵達。
そして実際に全滅寸前まで戦い、避難民、国民のために命を捧げて散っていった。

いくら賞賛されても足りないほどではないか?


やはり、日本史は美化する必要さえないもの、と再確認しました。


しかし、こういったことのほとんど、或いは、

関東軍の部隊の誰一人日本に帰ってこなかったことは知らない人がいないほど周知の事実。

それにもかかわらず、【避難民を放り出して、日本に先に引き揚げたのは事実】、などというのは、日本人ではないし、日本の戦後のこともまったく知らない人間だということは隠しようもないと思う。

どだい、輸送船すらほとんど沈められた中で、どうやって、船を手配して帰ってくるというのか?

そんなことすら知らず、日本軍は勝手に帰った等という妄想、捏造をしているのは、

日本人でも台湾人でもないことは確かだろう。
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