関東軍と当時の一般国民の姿
投稿者: bell45a 投稿日時: 2005/05/09 08:48 投稿番号: [11064 / 85019]
ブレメンさんの孤軍奮闘、関東軍の如し。
捏造と妄想と、歴史と事実歪曲にきちんと対処していただき、ありがとうございました。
大変ご苦労様です。
以下、転載して、応援とさせて下さい。
ネットの中にもいくらでもあるし、関東軍が奮闘してソ連軍を食い止めていたことを証言した、当時の避難民が後に書き残した本も数多くあるのにも驚きました(当たり前でしょうね、現場で見ていたのだから)。
こういったことを検索して調べてやまほど目にした筈なのに、一切無視する醜悪さには驚きました。
韓国政府、韓国人の醜悪さとまったく同じものを再確認しました。
ブレメンさん、感謝します。
話しの都合が悪くなり出すと、軍国主義者とか、国粋だとか、亡霊だと言い出すのも朝鮮人の【いつものパターン】ですね!
一応、最大級の本屋二軒で十五冊以上見てみて、数時間すごしまたが、関東軍や日本兵のことをけなし、恨んでいる本はなかったですね。
20年前、30年前に書かれた本でも同じでしたよ。
皆、停戦と避難民の白旗さえ無視して銃砲撃、進撃するソ連軍と突然現れて避難民を襲撃し出した「八路軍」への恨みつらみ、そればかりでしたが?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(終戦、停戦が伝えられた)その15日夜、駐蒙軍司令官(まさに最前線中の最前線)根本博中将は、張家口の宿舎で眠れない夜を過ごしていた。ソ連軍はその前日には張家口北西44キロの張北にまで迫っていた。満洲に侵入したソ連軍に関する情報ももたらされていた。
ソ連軍は、在留邦人に対して、婦女子は手当たり次第に
暴行したり、着ている衣服や腕時計まで掠奪している。拒
否するものは容赦なく射殺するなど、暴虐の限りを尽くし
ているらしい。
日本は降伏したが、このまま手を拱いていて、ソ連軍が張家口に侵入すれば同じ地獄絵図が繰り広げられる。北方27キロにある丸一陣地にて【ソ連軍を食い止めつつ、時間を稼いで、邦人4万人を北京・天津方面に脱出】させなければならない。
日本の降伏後、【ソ連軍に抗戦したら、罪に問われるであろう。その時は、一切の責任を負って自分が腹を切れば済むこと】だと、覚悟が決め、根本中将は丸一陣地の守備隊に対して、命令を下した。
理由の如何を問わず陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべく、【これに対する責任は一切司令官が負う】。
【「軍司令官は、たとえ逆賊の汚名を受けても4万人の同胞を救うためには、断乎としてソ連軍を阻止する決意だそうだ。」そういう噂が口伝えに広がると、陣地内の将兵の士気は、一挙に高まった。】
(今まではみたこともなかったが、突然あらわれた)八路軍の鉄道襲撃は執拗だった。周囲の山から居留民を満載した無蓋汽車に銃を撃ちかけてくる。北京から急遽、救援にかけつけた第118師団の将兵も、防戦に駆けずり回った。
8月21日、張家口宣化の駅では、広い駅構内の何本もある引き込み線に引き揚げ者を満載した列車20本ほどが一時停車していた。物資輸送のために山本義一軍曹と部下20人がそこを通りかかった時、八路軍が襲撃してき た。
山本軍曹は「こりゃ、エライこっちゃ。【どうせ死ぬなら、日
本人のために死のう】」と部下たちに呼びかけ、応戦。やがて3
百メートルほど離れた川岸まで撃退した。
しかし、八路軍は何度も襲撃してくる。撃ち合って二日目、
疲れ果てて、もう持ちこたえられん、とあきらめかけた時、
【5、6歳のイガグリ頭の男の子が、大きなカバンをひきずるよ
うにして小走りに走ってきた。その子を目標にして、八路軍の
追撃砲弾が周囲に炸裂する。】山本軍曹は思わず、その子を横抱
きにして窪地に飛び込んだ。
【「兵隊さん、これ食べて頑張って下さい」】と、男の子はカバン
の中からいくつもの焼きお握りを取り出した。【山本軍曹の顔は
泥と涙で、目の下が真っ黒になっていた。男の子の励ましに疲
れも吹き飛んで、まもなく八路軍を撃退させた。】
捏造と妄想と、歴史と事実歪曲にきちんと対処していただき、ありがとうございました。
大変ご苦労様です。
以下、転載して、応援とさせて下さい。
ネットの中にもいくらでもあるし、関東軍が奮闘してソ連軍を食い止めていたことを証言した、当時の避難民が後に書き残した本も数多くあるのにも驚きました(当たり前でしょうね、現場で見ていたのだから)。
こういったことを検索して調べてやまほど目にした筈なのに、一切無視する醜悪さには驚きました。
韓国政府、韓国人の醜悪さとまったく同じものを再確認しました。
ブレメンさん、感謝します。
話しの都合が悪くなり出すと、軍国主義者とか、国粋だとか、亡霊だと言い出すのも朝鮮人の【いつものパターン】ですね!
一応、最大級の本屋二軒で十五冊以上見てみて、数時間すごしまたが、関東軍や日本兵のことをけなし、恨んでいる本はなかったですね。
20年前、30年前に書かれた本でも同じでしたよ。
皆、停戦と避難民の白旗さえ無視して銃砲撃、進撃するソ連軍と突然現れて避難民を襲撃し出した「八路軍」への恨みつらみ、そればかりでしたが?
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(終戦、停戦が伝えられた)その15日夜、駐蒙軍司令官(まさに最前線中の最前線)根本博中将は、張家口の宿舎で眠れない夜を過ごしていた。ソ連軍はその前日には張家口北西44キロの張北にまで迫っていた。満洲に侵入したソ連軍に関する情報ももたらされていた。
ソ連軍は、在留邦人に対して、婦女子は手当たり次第に
暴行したり、着ている衣服や腕時計まで掠奪している。拒
否するものは容赦なく射殺するなど、暴虐の限りを尽くし
ているらしい。
日本は降伏したが、このまま手を拱いていて、ソ連軍が張家口に侵入すれば同じ地獄絵図が繰り広げられる。北方27キロにある丸一陣地にて【ソ連軍を食い止めつつ、時間を稼いで、邦人4万人を北京・天津方面に脱出】させなければならない。
日本の降伏後、【ソ連軍に抗戦したら、罪に問われるであろう。その時は、一切の責任を負って自分が腹を切れば済むこと】だと、覚悟が決め、根本中将は丸一陣地の守備隊に対して、命令を下した。
理由の如何を問わず陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべく、【これに対する責任は一切司令官が負う】。
【「軍司令官は、たとえ逆賊の汚名を受けても4万人の同胞を救うためには、断乎としてソ連軍を阻止する決意だそうだ。」そういう噂が口伝えに広がると、陣地内の将兵の士気は、一挙に高まった。】
(今まではみたこともなかったが、突然あらわれた)八路軍の鉄道襲撃は執拗だった。周囲の山から居留民を満載した無蓋汽車に銃を撃ちかけてくる。北京から急遽、救援にかけつけた第118師団の将兵も、防戦に駆けずり回った。
8月21日、張家口宣化の駅では、広い駅構内の何本もある引き込み線に引き揚げ者を満載した列車20本ほどが一時停車していた。物資輸送のために山本義一軍曹と部下20人がそこを通りかかった時、八路軍が襲撃してき た。
山本軍曹は「こりゃ、エライこっちゃ。【どうせ死ぬなら、日
本人のために死のう】」と部下たちに呼びかけ、応戦。やがて3
百メートルほど離れた川岸まで撃退した。
しかし、八路軍は何度も襲撃してくる。撃ち合って二日目、
疲れ果てて、もう持ちこたえられん、とあきらめかけた時、
【5、6歳のイガグリ頭の男の子が、大きなカバンをひきずるよ
うにして小走りに走ってきた。その子を目標にして、八路軍の
追撃砲弾が周囲に炸裂する。】山本軍曹は思わず、その子を横抱
きにして窪地に飛び込んだ。
【「兵隊さん、これ食べて頑張って下さい」】と、男の子はカバン
の中からいくつもの焼きお握りを取り出した。【山本軍曹の顔は
泥と涙で、目の下が真っ黒になっていた。男の子の励ましに疲
れも吹き飛んで、まもなく八路軍を撃退させた。】
これは メッセージ 1 (topics_editor さん)への返信です.
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