満州関東軍の敗走と日本企業
投稿者: fujiusb2005 投稿日時: 2005/05/07 20:02 投稿番号: [10980 / 85019]
まず、一般的に日本国民が「満州においける関東軍の敗走」をどのように見ているか?↓
http://www.kumagera.ne.jp/shorinji/houwa/houwa-57.html
>(一部抜粋)『関東軍の敗走
「当時私が住んでいた東部満州の国境の町綏陽には県公署があり、日本軍の某師団(特に名を秘す)が駐屯していたのであるが、ソ連軍の参戦が知らされた頃には、警察の兵事係に命じ日本人の民間人男子を非常召集させ、これに木銃を持たせて軍事施設や橋などの警備を命じておいて、師団は司令部はじめ各部隊共、朝のうちにソ連軍とは一戦も交えることなく、後方の第二線陣地で抗戦するのだと称して、何もかも捨てて退却してしまった。そして街に残されたのは、一般から臨時召集された少数の男子と逃げ遅れた地方人の女や子供たちばかりで、正午前には憲兵隊はじめ正規の軍人はその家族とともに一人残らず消えてしまっていたのである。」
なぜこんな事になってしまったのでしょうか。まずは、泣く子も黙る関東軍の現実を見てみましょう。そもそもソ連の脅威に端を発した満州経営と関東軍創設でしたが、南方の戦線が悪化してくると、大本営は精鋭を揃えた関東軍からその精鋭を引き抜き、南方の第一線に転用し始めます。民間から調達した船によって南方目指して輸送されるわけですが、中には米軍の攻撃を受けて、目的地に到着する前に全滅してしまう部隊も数多くありました。やっとの思いで目的地に到着しても悲惨な運命が彼ら精鋭部隊を待っていたわけで、多くのみたまが散っていきました。不足した関東軍の部隊には補充兵という形で満州の男たちが召集されました。手当たり次第の召集で、年齢に関係なく動ける男はみんな徴兵されたという感じです。人数だけそろえたのです。精鋭がそっくりいなくなった後に、体力もない教育も受けていない兵隊が補充されたのです。そんなわけで、1945年当時の関東軍は、張子の虎になっていたのです。そうなると、国境を守るはずの部隊に対して参謀本部は、敵からの攻撃を受けても反攻しない、決して手を出さないという方針を建てざるを得なくなっていました。
それでも日ソ不可侵条約に寄りかかり、満州と関東軍は、我が世の春を謳歌していたようで、本土の空襲が始まると家族を満州へ呼び寄せたり、豪華な酒宴が催されたりしていました。まるで危機感がなかったのです。
対外的には大本営はもとより関東軍も、ソ連を刺激しないようにしつつも虚勢を張っていました。しかし4月に日ソ中立条約が破棄されると、今度は、そのソ連を仲介に立てた戦争終結工作に日本は取り掛かります。敵にしたくないから、取り込んで仲介役を買ってもらおうという虫のいい話です。ちなみに仲介工作実現のためには、南樺太や北千島の割譲はもとより、ソ連が要求する全てを受け入れるという方針まで決めていたといいます。なんとも情けない話です。
』
戦前の日本軍隊の人間は、そりゃもうふんぞり返って「軍人であらずんば人にあらず」という感じであった。
特に満州の関東軍は、えばり腐っていたが、いざソ連が攻撃してきたらどうだったのか?
確かに現場の兵隊の中には勇敢に戦った者のいるだろう。しかし、重要なのことは関東軍の指揮官、参謀がどうしようもなく間抜けであったこと。危機管理はもとより、決断も出来ず、結局ソ連に思うようにさせてしまったこと。
私は、ソ連の不可侵条約違反の暴挙を弁護するわけでも、関東軍の不甲斐なさを自虐的に責めるわけでもなんでもない。
いまの日本の政治家の態度が、まさに関東軍の間抜けな指揮官、参謀と同じような過ちを犯そうとしているから、敢えて関東軍の敗走を取上げているだけだ。
戦後の歴史教育があまりにも自虐的であったことは確かだが、同じような過ちをいま北朝鮮・韓国・中国に対して犯そうとしている我が国の政治家の態度を見て、二度と関東軍を敗走に導くような判断を下してはならない。
http://www.kumagera.ne.jp/shorinji/houwa/houwa-57.html
>(一部抜粋)『関東軍の敗走
「当時私が住んでいた東部満州の国境の町綏陽には県公署があり、日本軍の某師団(特に名を秘す)が駐屯していたのであるが、ソ連軍の参戦が知らされた頃には、警察の兵事係に命じ日本人の民間人男子を非常召集させ、これに木銃を持たせて軍事施設や橋などの警備を命じておいて、師団は司令部はじめ各部隊共、朝のうちにソ連軍とは一戦も交えることなく、後方の第二線陣地で抗戦するのだと称して、何もかも捨てて退却してしまった。そして街に残されたのは、一般から臨時召集された少数の男子と逃げ遅れた地方人の女や子供たちばかりで、正午前には憲兵隊はじめ正規の軍人はその家族とともに一人残らず消えてしまっていたのである。」
なぜこんな事になってしまったのでしょうか。まずは、泣く子も黙る関東軍の現実を見てみましょう。そもそもソ連の脅威に端を発した満州経営と関東軍創設でしたが、南方の戦線が悪化してくると、大本営は精鋭を揃えた関東軍からその精鋭を引き抜き、南方の第一線に転用し始めます。民間から調達した船によって南方目指して輸送されるわけですが、中には米軍の攻撃を受けて、目的地に到着する前に全滅してしまう部隊も数多くありました。やっとの思いで目的地に到着しても悲惨な運命が彼ら精鋭部隊を待っていたわけで、多くのみたまが散っていきました。不足した関東軍の部隊には補充兵という形で満州の男たちが召集されました。手当たり次第の召集で、年齢に関係なく動ける男はみんな徴兵されたという感じです。人数だけそろえたのです。精鋭がそっくりいなくなった後に、体力もない教育も受けていない兵隊が補充されたのです。そんなわけで、1945年当時の関東軍は、張子の虎になっていたのです。そうなると、国境を守るはずの部隊に対して参謀本部は、敵からの攻撃を受けても反攻しない、決して手を出さないという方針を建てざるを得なくなっていました。
それでも日ソ不可侵条約に寄りかかり、満州と関東軍は、我が世の春を謳歌していたようで、本土の空襲が始まると家族を満州へ呼び寄せたり、豪華な酒宴が催されたりしていました。まるで危機感がなかったのです。
対外的には大本営はもとより関東軍も、ソ連を刺激しないようにしつつも虚勢を張っていました。しかし4月に日ソ中立条約が破棄されると、今度は、そのソ連を仲介に立てた戦争終結工作に日本は取り掛かります。敵にしたくないから、取り込んで仲介役を買ってもらおうという虫のいい話です。ちなみに仲介工作実現のためには、南樺太や北千島の割譲はもとより、ソ連が要求する全てを受け入れるという方針まで決めていたといいます。なんとも情けない話です。
』
戦前の日本軍隊の人間は、そりゃもうふんぞり返って「軍人であらずんば人にあらず」という感じであった。
特に満州の関東軍は、えばり腐っていたが、いざソ連が攻撃してきたらどうだったのか?
確かに現場の兵隊の中には勇敢に戦った者のいるだろう。しかし、重要なのことは関東軍の指揮官、参謀がどうしようもなく間抜けであったこと。危機管理はもとより、決断も出来ず、結局ソ連に思うようにさせてしまったこと。
私は、ソ連の不可侵条約違反の暴挙を弁護するわけでも、関東軍の不甲斐なさを自虐的に責めるわけでもなんでもない。
いまの日本の政治家の態度が、まさに関東軍の間抜けな指揮官、参謀と同じような過ちを犯そうとしているから、敢えて関東軍の敗走を取上げているだけだ。
戦後の歴史教育があまりにも自虐的であったことは確かだが、同じような過ちをいま北朝鮮・韓国・中国に対して犯そうとしている我が国の政治家の態度を見て、二度と関東軍を敗走に導くような判断を下してはならない。
これは メッセージ 10886 (bremenangelheart さん)への返信です.
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