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日本軍、関東軍の名誉も回復 その1

投稿者: bremenangelheart 投稿日時: 2005/05/04 02:48 投稿番号: [10698 / 85019]
まんずは、なんだとぉ?
日本軍に名誉があれば、残留孤児は生まれない???

ひねくれもんのいいそうなことだ。
ひねくれ者っていうのは、一度も戦ったことがないか、いつもいつも敗走ばかりして、米軍の陰にコソコソにげて、タマも鉄砲もタダでもらっても負けてばかりで、何個も師団を解散されたりしている朝鮮人、韓国人に多いんだが〜?


いかに日本軍が健闘したか。その名誉あふれる戦いぶりとは。

当時のソ連側の近い満州に展開していた帝国関東軍師団24、戦車旅団2、独立混成旅団9、国境守備隊1
兵員約75万、火砲約1000門、戦車約200両、飛行機200機程度。
しかし、有効兵器、重機関銃、速射砲、野砲、山砲、対戦車兵器、精鋭部隊は残らず、南方に送られており、まさに中身は案山子同然になっていた・・・・・

昭和20年8月9日、侵攻時のソ連軍陣容
歩兵師団70、機械化師団2、騎兵師団6、戦車師団2、戦車旅団40、
兵員約174万、火砲約30000門、戦車5300両、飛行機5200機。
戦車・航空主体の突撃型の軍団で、対独戦からの転用部隊が主力。従って、実戦経験も豊富で、案山子状態の関東軍とは比較にならない内容をもっていた。


東部正面
ソ連第1極東方面軍と第2極東方面軍主力が進攻。
牡丹江領域には、日本の第5軍(清水規矩中将)、第3軍(村上啓作中将)計10個師団、
ソ連軍は35個師団、17個戦車・機械化旅団。東部正面の都市、牡丹江にソ連軍主力が向かうものと判断した清水司令官は、全力を集中してソ連軍侵攻を阻止するよう捨て身で防戦。
穆稜を守備する第124師団(椎名正健中将)の一部は12日に突破されましたが、後続のソ連軍部隊と激戦を続け、肉薄攻撃などの必死の攻撃を展開、
15日夕までソ連軍の侵攻を阻止し、この間に牡丹江在留邦人約6万人の後退を完了させた。
この間、満鉄も社長以下、ほとんどの社員は残り、避難民救出に全力を挙げた。勿論、爆撃などにより、多くの職員の犠牲を出したが、関東軍と協力して、防戦に努め、
多くの将兵が肉弾突撃で倒れた第5軍は、それでも潰走せず、17日までに僅かに60キロ後退しただけで、そこで停戦命令を受領。

第1方面軍(喜多誠一大将)
虎頭陣地死守を当初から決定。自ら捨て石となって、避難民援護を図ることを全将兵に示達。重砲をソ連軍に撃てるだけ撃ち、玉砕する方針を堅持した・・・
元々は15個あった国境守備隊の中で残された唯一の部隊。
本来2万人以上が常駐したが、僅か2000人弱で戦うこととなった。
完全包囲下で守備隊は砲撃を終え、主力陣地を圧倒的なソ連軍に奪われると、夜間斬り込み、肉薄攻撃を敢行、8月26日に至り避難民を含めほとんど全員戦死。内地に帰還し得た者わずかに53人。
しかし、この部隊の敢闘により、北支方面避難民が脱出に成功するなど、最大の貢献と言われる。

東寧方面   元第1国境守備隊陣地。
守備したのは独立歩兵第783大隊、東寧重砲兵聯隊第1中隊を基幹とする、たったの900人だったが、数十倍のソ連軍の猛攻、砲爆撃に耐え、抵抗を続行。ソ連軍は遂に大損害を出して、攻略を断念。
ソ連軍側の要請で第3軍参謀河野中佐が陣地に入って停戦命令を伝え停戦に至ったのは26日。

西部第3方面軍(後宮淳大将)
第3方面軍(後宮淳大将)対して、ザバイカル方面軍が進攻。
日本軍9個師団、3個独混旅団、2個独立戦車旅団、
ソ連軍は狙撃28個師団、騎兵5個、戦車2個、自動車化2個各師団、戦車、機械化旅団等18個師団という大兵力で突撃。
ソ連軍に包囲された残存部隊は北部の山岳地帯で持久戦闘、終戦を知ることもなく包囲下で健闘を続け、ソ連軍を撃退。関東軍参謀2名の命令により停戦したのは29日のこと。
関東軍内で師団主力をもって戦った最後の戦いとなり、ここでもソ連軍に一矢報いた最後の戦闘だったといわれる。
後方へ進むソ連軍機甲部隊に対しては、第2航空軍(原田宇一郎中将)がひとり立ち向かい連日攻撃。
攻撃機の中には全弾打ち尽くした後、敵戦車群に体当たり攻撃を行ったものは相当数。
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