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金大中、盧武鉉、韓国慰安婦の共通項

投稿者: bell45a 投稿日時: 2005/05/03 09:29 投稿番号: [10644 / 85019]
ソウルにいる、自称「従軍慰安婦」黄錦周(ファン・クムジュ)の証言集。
紛れもなく、ひとりの人間が証言した。
十人いるのではなく、ひとりの老女が自分の体験であり、「従軍慰安婦」だった、と称して行った証言の数々。

要するに、金大中、金日成、金正日、盧武鉉と同じで、【虚言癖。嘘をつくのが平気。その場限りで、適当に思いつきでしゃべりちらしているだけ】
もしも、ソウルで会えたら、
【嘘ばかりついて、日本の同世代の老人の誇りや、気持ちを傷つけるのはやめなさい】
と普通に言えば良い。

それだけだろう。
韓国人は、大統領から老婆まで、大変似ている。


「1912年扶餘生まれ。父の発病後家運が傾き、13歳のとき家をでて、奉公に出ました。村の班長(日本人)に「日本の軍需工場に行けば、お金がもうかる。一家に一人は行かなくては」と脅かされ、奉公先の娘たちにかわって1941年、二十歳で国を離れましたが、ついた所は慰安所でした。」
元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会   1997年

「生活は貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時にその家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となる」
高木健一著『従軍慰安婦と戦後補償』

「威興の女学校在学中の17歳の時1939年に国民徴用令で動員され軍需工場に行くと思っていたが着いた所は吉林の慰安所だった」
平成7年朝日新聞インタビュー

「例えば、黄錦周(ファン・クムジュ)さんの場合、生まれた年が朝日新聞の記事(平成七年七月二十四日夕刊)では「一九二二年(大正十一年)」だが、伊藤孝司氏編著「証言   従軍慰安婦女子勤労挺身隊」(風媒社、平成四年八月)では「一九二七年(昭和二年)」と書かれ、慰安婦にされた年も朝日新聞では「十七歳(昭和十三年か十四年)」だが、伊藤氏の本では「シンガポール陥落の年(昭和十七年)」とある。慰安婦訴訟原告団の一人、金学順(キム・ハクスン)さんのケースも、新聞記事や本の記述を読み比べると、慰安婦にされた年などが食い違っている。」
産経新聞97/3/11

「満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしました。何をするのかよく分からなかったのですが、ソウルの工場か何かで働くのだろうと思っていました。姉は家から離れて生活していていなかったので、私が代わって出ることになりました。」
日韓社会科教育交流団韓国を訪問1997

「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士のセックスのはけ口にされたつらい体験を語りました。」
「黄錦周さんの証言を聞く会]2001

「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。3年も働いたころ、ある日一人の日本兵が自分のテントについてこいと要求しました。かれは着物を脱げと私にいいました。たいへん怖かったので抵抗しました。私はまだ処女でした。しかし彼は銃剣の付いている銃で私のスカートを引き裂き、下着を体から切り離しました。そのときに私は気を失いました。そしてふたたび気が付いたときには毛布を掛けられていましたが、あたり一面に血が付いていました。」
国連・経済社会理事会で

「私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に行ったんだ!日本人に便所と言われもうこれ以上我慢できない!やっぱりあの時死んどきゃよかったんだ!これ以上生きててもしょうがない!もう死んでやる殺してくれ!」
TBS「ここが変だよ日本人」より
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