上海閥江沢民は明確な抗日強硬軍拡路線③
投稿者: minahidetyan 投稿日時: 2010/11/16 17:29 投稿番号: [7977 / 9460]
江沢民の対日政策は、一貫して反日・強硬路線を採った。
江沢民の訪日は1998年11月に行われているが、その際、今上天皇と当時の小渕恵三首相に対して過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さに保守派のみならず親中派の反発まで買うことになった
江沢民の号令により作られた約100の「抗日戦争記念館」があり、どこの記念館にも江沢民の「歴史を鑑に未来を拓く」という言葉が掲げられているそうだ
1997年10月、江沢民はアメリカ合衆国を訪問。ハワイ真珠湾へ立ち寄って戦艦アリゾナ記念館に献花をおこない、ここで日本の中国(当時の中国大陸は中華民国の中国国民党政府の統治下であった)「侵略」と真珠湾攻撃を批判。一部の人々からは「歴史問題を通じてのアメリカへの接近、ひいては日米離間を狙った演説だった」とされている。
日本の首相による靖国神社参拝には断固反対の立場をとった。江沢民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した小泉純一郎首相とは極力首脳会談を行わなかった。
中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言をして日本の歴史教育を激しく非難した。その一方で、1979年に中華人民共和国がベトナムを侵攻した中越戦争について江沢民は、ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。
江沢民の任期から中華人民共和国は大国意識を剥き出しにした対外強硬路線が目立つようになり、1996年には中華民国総統選挙に圧力をかけるため台湾海峡にミサイルを撃ち込んでアメリカ軍の緊急展開を招くなど情勢を緊迫させた。
他にも同年にCTBT採択直前に駆け込みで核実験を強行し、世界中から非難された。
1999年の国慶節では15年ぶりに軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示した。
また、江が推進した経済発展は、国民の貧富の格差や都市と農村の地域間格差といった「格差社会」、汚職の蔓延、そして環境破壊などの負の遺産も残した。
「上海閥」総帥として政界に君臨した。総書記退任後も党中央軍事委員会主席に留任した江は、党の最高指導部である政治局常務委員の過半数を自派閥で固め、腹心の曽慶紅らを通じて後継の胡錦濤指導部に影響力を発揮していた。
しかし、2006年に江の地盤である上海市の幹部(党委書記の陳良宇など)が汚職で根こそぎ摘発され、「上海閥」は大打撃を受けた。その結果、近年では江沢民派の官僚はかなり減少しており、胡錦濤が権力の掌握を確実にしたとされる。
日本に対しては歴史認識で執拗に批判している
大統領であるビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュとも複数回にわたって会い、一緒にレジャーを過ごした事もある
大統領就任直後は台湾を支持していたブッシュが台湾独立について支持しないことを明確にするなど、中国とアメリカの接近が深まった。
席次が党総書記・国家主席の胡錦濤に次ぐ第2位であるなど、依然として「党と国家の指導者」として遇されている。これは1990年代に訒小平や陳雲らが受けた待遇に近い。また、2008年の旧正月には上海市党委書記と市長を伴って公式の場に現れ、健在振りを誇示した。
江沢民の訪日は1998年11月に行われているが、その際、今上天皇と当時の小渕恵三首相に対して過去の歴史に基づいた謝罪要求をし、その執拗さに保守派のみならず親中派の反発まで買うことになった
江沢民の号令により作られた約100の「抗日戦争記念館」があり、どこの記念館にも江沢民の「歴史を鑑に未来を拓く」という言葉が掲げられているそうだ
1997年10月、江沢民はアメリカ合衆国を訪問。ハワイ真珠湾へ立ち寄って戦艦アリゾナ記念館に献花をおこない、ここで日本の中国(当時の中国大陸は中華民国の中国国民党政府の統治下であった)「侵略」と真珠湾攻撃を批判。一部の人々からは「歴史問題を通じてのアメリカへの接近、ひいては日米離間を狙った演説だった」とされている。
日本の首相による靖国神社参拝には断固反対の立場をとった。江沢民と後任の胡錦濤は、靖国神社を毎年参拝した小泉純一郎首相とは極力首脳会談を行わなかった。
中国国家主席として初めて日本を訪れた際は「日本政府による歴史教育が不十分だから、(国民の)不幸な歴史に対する知識が極めて乏しい」と発言をして日本の歴史教育を激しく非難した。その一方で、1979年に中華人民共和国がベトナムを侵攻した中越戦争について江沢民は、ベトナムを訪問したときに謝罪するどころかベトナムの首脳に「もう過去のことは忘れよう」と言って正当化し、中越戦争のことを教科書から削除するよう求めた。
江沢民の任期から中華人民共和国は大国意識を剥き出しにした対外強硬路線が目立つようになり、1996年には中華民国総統選挙に圧力をかけるため台湾海峡にミサイルを撃ち込んでアメリカ軍の緊急展開を招くなど情勢を緊迫させた。
他にも同年にCTBT採択直前に駆け込みで核実験を強行し、世界中から非難された。
1999年の国慶節では15年ぶりに軍事パレードを挙行し、軍事力を誇示した。
また、江が推進した経済発展は、国民の貧富の格差や都市と農村の地域間格差といった「格差社会」、汚職の蔓延、そして環境破壊などの負の遺産も残した。
「上海閥」総帥として政界に君臨した。総書記退任後も党中央軍事委員会主席に留任した江は、党の最高指導部である政治局常務委員の過半数を自派閥で固め、腹心の曽慶紅らを通じて後継の胡錦濤指導部に影響力を発揮していた。
しかし、2006年に江の地盤である上海市の幹部(党委書記の陳良宇など)が汚職で根こそぎ摘発され、「上海閥」は大打撃を受けた。その結果、近年では江沢民派の官僚はかなり減少しており、胡錦濤が権力の掌握を確実にしたとされる。
日本に対しては歴史認識で執拗に批判している
大統領であるビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュとも複数回にわたって会い、一緒にレジャーを過ごした事もある
大統領就任直後は台湾を支持していたブッシュが台湾独立について支持しないことを明確にするなど、中国とアメリカの接近が深まった。
席次が党総書記・国家主席の胡錦濤に次ぐ第2位であるなど、依然として「党と国家の指導者」として遇されている。これは1990年代に訒小平や陳雲らが受けた待遇に近い。また、2008年の旧正月には上海市党委書記と市長を伴って公式の場に現れ、健在振りを誇示した。
これは メッセージ 7974 (minahidetyan さん)への返信です.
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