時代を動かした事件② 東京佐川事件
投稿者: bmw750i_jp 投稿日時: 2010/11/12 19:06 投稿番号: [1630 / 9460]
東京佐川急便事件とは
時系列(竹下、金丸、小沢)
① 竹下に対して日本皇民党によるほめ殺し事件が起こる
② 竹下、金丸、小沢は東京佐川急便社長の渡辺広康の紹介で暴力団稲川会会長石井進に仲介を依頼①が解決
③ 渡辺広康の債務保証で暴力団会長石井進の会社に銀行が巨額融資
④ バブル崩壊で③が焦げ付き渡辺広康の背任で特捜部が動く
⑤ さまざまな疑惑が表面化するも解決がなされないまま 金丸信だけ略式起訴で幕を閉じる。
長いので抜粋します 東京佐川急便社長渡辺広康〜稲川会会長石井進(石井隆匡)〜日本皇民党〜竹下登・金丸信・小沢一郎 で検索してください。
『数千億単位』で資金が闇社会に流れ、東京地検も闇献金や不正融資などの追及を続けたが結局、東京佐川急便からの政治献金の中で5億円の授受をしていた金丸信が1992年9月28日に政治資金規正法違反で『略式起訴』されただけで、他の大物議員や闇資金ルートは解明されないまま事件は闇に葬られた。
尚、その後 検察の捜査に多くの国民が不満を持ち 検察庁の表札に黄色いペンキがかけられた。
ウィキ→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BD%90%E5%B7%9D%E6%80%A5%E4%BE%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
評論家の立花隆は6月24日付『朝日新聞』朝刊に寄稿し、疑惑の渦中にあった当人である小沢一郎が「政治改革」を掲げて新生党を結成したことについて「ちゃんちゃらおかしい」と酷評した。
しかし小沢・武村らと気脈を通じた細川護煕(旧田中派出身)率いる日本新党が候補者を大量擁立し、新生党・新党さきがけに同調したことなどにより日本新党を中心とした「新党ブーム」が起こり、一部マスコミの扇動的な報道や、小沢一郎の疑惑を追及しないとする意図的な情報操作もあり世間の趨勢は「自民党が悪い」「政権交代を」という雰囲気に流れた。
結果、自民党は過半数を獲得できず野党に転落。また社会党は支援団体の連合の方針転換(左派議員を支援しない)や上野建一衆議院議員の辞職(1992年3月、ゴルフ場開発会社からの不明朗な資金提供疑惑のため引責辞職。のち離党し新社会党書記長)も重なり、55年体制成立以来最低の70議席と惨敗。
それに対し日本新党・新生党・新党さきがけが躍進、宮澤喜一内閣は総辞職、8政党・会派連立による細川内閣が成立し、ここに1955年の鳩山一郎内閣から38年の長きに渡り続いた55年体制は幕を閉じた。
東京佐川急便事件を契機として55年体制は崩壊、政界再編は実現した形となったが、事件の渦中にあった小沢ら経世会出身者が中心勢力となった新生党が総選挙後細川内閣の主導権を握り、羽田、藤井ら同党議員5名が外務大臣・大蔵大臣・通商産業大臣・農林水産大臣・防衛庁長官の重要閣僚ポストを得て入閣、さきがけは「隠れ竹下派」と言われた武村が内閣官房長官、経世会出身の鳩山由紀夫が内閣官房副長官となり、首相の側近ポストを占めて首相官邸を掌握、「政権交代」とはいうものの実際には旧田中派人脈に連なる政治家達が実権を握る政権となった。
また社会党は選挙敗北にも拘らず細川内閣の与党となり、連立与党中最多の6名の閣僚を送り出した。こうした情勢変化の結果、以後この事件の政界ルートの真相追及はなされぬまま終わった。
私の投稿目的はこれ→ http://www.youtube.com/watch?v=ZFoiIahtCQA
↑30兆円の埋蔵金↑
時系列(竹下、金丸、小沢)
① 竹下に対して日本皇民党によるほめ殺し事件が起こる
② 竹下、金丸、小沢は東京佐川急便社長の渡辺広康の紹介で暴力団稲川会会長石井進に仲介を依頼①が解決
③ 渡辺広康の債務保証で暴力団会長石井進の会社に銀行が巨額融資
④ バブル崩壊で③が焦げ付き渡辺広康の背任で特捜部が動く
⑤ さまざまな疑惑が表面化するも解決がなされないまま 金丸信だけ略式起訴で幕を閉じる。
長いので抜粋します 東京佐川急便社長渡辺広康〜稲川会会長石井進(石井隆匡)〜日本皇民党〜竹下登・金丸信・小沢一郎 で検索してください。
『数千億単位』で資金が闇社会に流れ、東京地検も闇献金や不正融資などの追及を続けたが結局、東京佐川急便からの政治献金の中で5億円の授受をしていた金丸信が1992年9月28日に政治資金規正法違反で『略式起訴』されただけで、他の大物議員や闇資金ルートは解明されないまま事件は闇に葬られた。
尚、その後 検察の捜査に多くの国民が不満を持ち 検察庁の表札に黄色いペンキがかけられた。
ウィキ→ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BD%90%E5%B7%9D%E6%80%A5%E4%BE%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
評論家の立花隆は6月24日付『朝日新聞』朝刊に寄稿し、疑惑の渦中にあった当人である小沢一郎が「政治改革」を掲げて新生党を結成したことについて「ちゃんちゃらおかしい」と酷評した。
しかし小沢・武村らと気脈を通じた細川護煕(旧田中派出身)率いる日本新党が候補者を大量擁立し、新生党・新党さきがけに同調したことなどにより日本新党を中心とした「新党ブーム」が起こり、一部マスコミの扇動的な報道や、小沢一郎の疑惑を追及しないとする意図的な情報操作もあり世間の趨勢は「自民党が悪い」「政権交代を」という雰囲気に流れた。
結果、自民党は過半数を獲得できず野党に転落。また社会党は支援団体の連合の方針転換(左派議員を支援しない)や上野建一衆議院議員の辞職(1992年3月、ゴルフ場開発会社からの不明朗な資金提供疑惑のため引責辞職。のち離党し新社会党書記長)も重なり、55年体制成立以来最低の70議席と惨敗。
それに対し日本新党・新生党・新党さきがけが躍進、宮澤喜一内閣は総辞職、8政党・会派連立による細川内閣が成立し、ここに1955年の鳩山一郎内閣から38年の長きに渡り続いた55年体制は幕を閉じた。
東京佐川急便事件を契機として55年体制は崩壊、政界再編は実現した形となったが、事件の渦中にあった小沢ら経世会出身者が中心勢力となった新生党が総選挙後細川内閣の主導権を握り、羽田、藤井ら同党議員5名が外務大臣・大蔵大臣・通商産業大臣・農林水産大臣・防衛庁長官の重要閣僚ポストを得て入閣、さきがけは「隠れ竹下派」と言われた武村が内閣官房長官、経世会出身の鳩山由紀夫が内閣官房副長官となり、首相の側近ポストを占めて首相官邸を掌握、「政権交代」とはいうものの実際には旧田中派人脈に連なる政治家達が実権を握る政権となった。
また社会党は選挙敗北にも拘らず細川内閣の与党となり、連立与党中最多の6名の閣僚を送り出した。こうした情勢変化の結果、以後この事件の政界ルートの真相追及はなされぬまま終わった。
私の投稿目的はこれ→ http://www.youtube.com/watch?v=ZFoiIahtCQA
↑30兆円の埋蔵金↑
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