アロー戦争〜の頃を忘れ日本をばかりを非難
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2012/09/19 15:23 投稿番号: [1033 / 1070]
日帝と欧米列強,アジアの侵略者はどっちか?
アロー戦争(天津条約,北京条約)の頃からの歴史の流れを無視し,日本ばかりを非難する中国は何かへん。
●アロー戦争(1856〜60年)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89&oldid=42585859
■なぜ日本という島国の小国が,中国という大国を占領出来たのだろうか?現代の様に交易による経済活動をせず,無理にインドネシア等の東南アジア諸国に進出してまで軍事活動をしたのは何故だろうか?
…それは欧米列強による当時のアジアの植民地支配拡大の問題によるもの。↓↓
■当時のアジア諸国は欧米列強に狙われ混乱,無政府状態化,植民地化が進んでいだ。
1840〜42年:阿片戦争(中国)
50〜64年:太平天国の乱(中国)
56〜60年:アロー戦争(中国)
66年:丙寅洋擾(韓国)
94年:甲午農民戦争(韓国)
94年〜95年:日清戦争(中国)
1900年:義和団の乱(中国)
04〜05年:日露戦争(韓国)
…など。
■中国は外圧,国内の混乱に自力で対応できず,統治能力なしとされ,清皇帝の愛新覚羅溥儀が失脚している。
つまり,当時の中国は国王がいなくなってしまっていて無政府状態。リーダーがいない中国は,欧米の傀儡社会,傀儡経済化がより進んだ…つまり植民地である。
■日本は,欧米諸国によるアジア諸国の植民地化を驚異と感じ,富国強兵政策をとる事となる。
※欧米諸国の植民地政策の物真似をして,欧米に植民地化されそうになっていた朝鮮,中国の一部を切り取り,保護国として自国管轄にするなどした。保護国とした国は,欧米的民主化政策にのっとり,近代化政策…人権を守るなど近代法整備(六法),封建社会→民主主義社会への改革を行った。
保護国の国民=単なる奴隷労働者という改革では決してない。いいか悪いのかが問題なのだが…日帝の准臣民として扱い,教育し,支配国国民も日帝の政治や軍隊に参加出来る様にもした。(日帝の中で出世しようとすれば出世出来る立場を与えていた…)
■中国は,アロー戦争(天津条約,北京条約)など,欧米列強によって侵食,解体され続けた。
清皇帝愛新覚羅溥儀は,本来なら中国の正当なる皇帝であるはずが,欧米諸国の外圧…通商の自由化,民主化要求によってリストラされた。
その愛新覚羅溥儀(満族,女真族)を王とし,満族の故郷に建国した「満州国」には正当性がある程度あるはず。
日本が欧米に奪われていた満州周辺を,日露戦争などで取り返し,「満州国」を建国する事で,本来の持ち主である清皇帝愛新覚羅溥儀にお返しした…という事なだけである。
なのに,それに反対した中国国民党(蒋介石)などが欧米に近付き,「リットン調査団」などを呼び込み,事態は混迷。日中戦争に至る。
以降,日本は国際社会から危険視され,排斥される事になる。最終的には,石油輸入などを断られ,行き詰まった日本は太平洋戦争に至る事になる。
日本は別に,アジア諸国の侵略しようとしていたわけではなく,アジア人によるアジア諸国の自治権(主権)を取り戻す戦いをしていただけ。
(事実,当時,タイ王国など,欧米の植民地政策に反抗し,共に戦う協力国が複数あった…。日本はチベットやインドネシアなどの少数民族の独立解放の手助けもしていた)
日帝の目的は欧米と敵対する事で,その後明確になり,アジア諸国の主権を取り戻し「大東亜共栄圏」を樹立する,独立解放者側を立場を明確にした。
日帝が,無駄と思える東南アジア南方戦線に,こだわって何百万人も派兵していたのは,そういう理由からであろう。
戦後,アジア諸国が中南米やアフリカ諸国よりもましだったのは,日帝が示したアジア人のプライド,自立心…,同じアジア人の日帝の様に,自国民の教育(識字率の向上,民度の向上)に力を注ぐ事により,日帝の様に自国(自民族)が立派になれるかも知れない…という希望の道を示した事による副産物なのかも知れない。
もし,日帝が欧米列強に対抗して戦争していなかったら…,欧米列強に中国は占領され切り取られ,今の東アジアの状態はなかっただろう。
(※日本の帝国主義を怪しみ嫌って後に敵対したが,今の中国(中華民国)の建国の祖,孫文や蒋介石,また中国共産党の周恩来らも日本に学びに来ていたのだ。大韓帝国の金玉均や朴泳孝も)
中国や韓国は,日本ばかりを恨むが…,
実際のところ,アジア圏に対する侵略行為を最初から行っていたのは欧米諸国の方であった事実の方を,今の中国人はすっかり忘れている様だ。
アロー戦争(天津条約,北京条約)の頃からの歴史の流れを無視し,日本ばかりを非難する中国は何かへん。
●アロー戦争(1856〜60年)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%BC%E6%88%A6%E4%BA%89&oldid=42585859
■なぜ日本という島国の小国が,中国という大国を占領出来たのだろうか?現代の様に交易による経済活動をせず,無理にインドネシア等の東南アジア諸国に進出してまで軍事活動をしたのは何故だろうか?
…それは欧米列強による当時のアジアの植民地支配拡大の問題によるもの。↓↓
■当時のアジア諸国は欧米列強に狙われ混乱,無政府状態化,植民地化が進んでいだ。
1840〜42年:阿片戦争(中国)
50〜64年:太平天国の乱(中国)
56〜60年:アロー戦争(中国)
66年:丙寅洋擾(韓国)
94年:甲午農民戦争(韓国)
94年〜95年:日清戦争(中国)
1900年:義和団の乱(中国)
04〜05年:日露戦争(韓国)
…など。
■中国は外圧,国内の混乱に自力で対応できず,統治能力なしとされ,清皇帝の愛新覚羅溥儀が失脚している。
つまり,当時の中国は国王がいなくなってしまっていて無政府状態。リーダーがいない中国は,欧米の傀儡社会,傀儡経済化がより進んだ…つまり植民地である。
■日本は,欧米諸国によるアジア諸国の植民地化を驚異と感じ,富国強兵政策をとる事となる。
※欧米諸国の植民地政策の物真似をして,欧米に植民地化されそうになっていた朝鮮,中国の一部を切り取り,保護国として自国管轄にするなどした。保護国とした国は,欧米的民主化政策にのっとり,近代化政策…人権を守るなど近代法整備(六法),封建社会→民主主義社会への改革を行った。
保護国の国民=単なる奴隷労働者という改革では決してない。いいか悪いのかが問題なのだが…日帝の准臣民として扱い,教育し,支配国国民も日帝の政治や軍隊に参加出来る様にもした。(日帝の中で出世しようとすれば出世出来る立場を与えていた…)
■中国は,アロー戦争(天津条約,北京条約)など,欧米列強によって侵食,解体され続けた。
清皇帝愛新覚羅溥儀は,本来なら中国の正当なる皇帝であるはずが,欧米諸国の外圧…通商の自由化,民主化要求によってリストラされた。
その愛新覚羅溥儀(満族,女真族)を王とし,満族の故郷に建国した「満州国」には正当性がある程度あるはず。
日本が欧米に奪われていた満州周辺を,日露戦争などで取り返し,「満州国」を建国する事で,本来の持ち主である清皇帝愛新覚羅溥儀にお返しした…という事なだけである。
なのに,それに反対した中国国民党(蒋介石)などが欧米に近付き,「リットン調査団」などを呼び込み,事態は混迷。日中戦争に至る。
以降,日本は国際社会から危険視され,排斥される事になる。最終的には,石油輸入などを断られ,行き詰まった日本は太平洋戦争に至る事になる。
日本は別に,アジア諸国の侵略しようとしていたわけではなく,アジア人によるアジア諸国の自治権(主権)を取り戻す戦いをしていただけ。
(事実,当時,タイ王国など,欧米の植民地政策に反抗し,共に戦う協力国が複数あった…。日本はチベットやインドネシアなどの少数民族の独立解放の手助けもしていた)
日帝の目的は欧米と敵対する事で,その後明確になり,アジア諸国の主権を取り戻し「大東亜共栄圏」を樹立する,独立解放者側を立場を明確にした。
日帝が,無駄と思える東南アジア南方戦線に,こだわって何百万人も派兵していたのは,そういう理由からであろう。
戦後,アジア諸国が中南米やアフリカ諸国よりもましだったのは,日帝が示したアジア人のプライド,自立心…,同じアジア人の日帝の様に,自国民の教育(識字率の向上,民度の向上)に力を注ぐ事により,日帝の様に自国(自民族)が立派になれるかも知れない…という希望の道を示した事による副産物なのかも知れない。
もし,日帝が欧米列強に対抗して戦争していなかったら…,欧米列強に中国は占領され切り取られ,今の東アジアの状態はなかっただろう。
(※日本の帝国主義を怪しみ嫌って後に敵対したが,今の中国(中華民国)の建国の祖,孫文や蒋介石,また中国共産党の周恩来らも日本に学びに来ていたのだ。大韓帝国の金玉均や朴泳孝も)
中国や韓国は,日本ばかりを恨むが…,
実際のところ,アジア圏に対する侵略行為を最初から行っていたのは欧米諸国の方であった事実の方を,今の中国人はすっかり忘れている様だ。
これは メッセージ 1032 (algernon さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/200001675/cf9qa4nhbfffca5ga5b3fcoa4gkbdel2bd_1/1033.html