元々は、CIAの工作員かいな?
投稿者: lkds_ewo_mmn 投稿日時: 2011/05/22 08:50 投稿番号: [4 / 6]
薩摩長州藩のバカどもを知れば、はっは〜ん、元々は、お仲間だったんだろうな〜、と、推測できる
わけだ。
そもそも、ユダヤ・プロテスタントは一神教徒であり、一神教的イデオロギーに支配されている。このイデオロギーは、人間は誰でもが、創造主こと エイリアン によって創られた生き物であるから、平等であり、自由である、というものだ。(これは自明だろうし、私もそう思う)
私もこのイデオロギーに同調できるのだが、CIAなどは、何等かの スケベ根性 に洗脳されているから、一神教イデオロギーを、イデオロギーとして位置付けずに、世界制覇の 便利な大義 として利用し、一神教の御旗を掲げて、十字軍よろしく、行軍してるんじゃないかと、ま〜、そういう感想も 持ってしまう ことが、けっこうあるんだよね。
だから、キリスト教徒は ろくでなし なんだと、そのように定義したいわけ。
宗教は、人間の存在理由を追求し、これからどうあるべきか、の道筋を示してくれるものだと思うのだが、キリスト教は そうではなくて、始めに 世界制覇という 人間の欲望の潜在的な支配力に支配されてしまっている。仏教も同じだと思う。
結局、ユダヤ教やヒンドゥー教などの、いわゆる 旧教は、キリスト教に代表される ペテン新教 と異なり、人間の根源を探る。新教は、為政者の世界制覇の道具として、利用される。
ペテンキリスト教徒のCIAは、カダフィーやサダム・フセインを工作員として利用し、また、薩長なども傀儡政権として利用し、世界制覇の子分として利用する。これらの傀儡政権の担当者は、地元のヤクザ (薩長がまさにそうだ) であったり、英語が堪能で、ワイロによって支配できる人物である場合が多いのだろう。なにを言いたいのかというと、堅固な正義感に支配されていないから、容易に敵側に寝返るのだ。
傀儡政権担当の工作員は、歴史が証明しているように、できそこないなのだ。
ろくでなしでなければ、欲望指向性がないのであるから、そもそもの傀儡政権者としての素質を備えていない。傀儡政権者として適性のある者は、欲望指向性が高いから、ろくでなしだ。神は人に 二物 を与えていない。
ユダヤ・プロテスタントのお決まりの仕事は、敵側に寝返った ろくでなしども へのお仕置き。フセインは、攻撃された後に、死刑となった。薩長の場合は、東京裁判という偽の演劇で、表面的にだけ おしおき を与えて、実態は、戦後も傀儡政権を担わせた。高邁な戦略なのだろう。
地政学的にはそれでいいのかもしれないが、国民は大変だよ。薩長が特権階級としてひっこんでいてくれれば、国民に対する害は皆無だろう。
ところが、私が仕事をしている薩長系ゼネコンの場合、薩長はヒマなものだから、社員や私のようなパートタイマーを支配しようとする。勝手に仕事上のルールを作るわけだ。
具体的には、私の場合は、清掃で使う掃除機を、清掃会社の社判を押した登録書で登録した掃除機でなければならない、というルールを作る。
この登録された掃除機は、時代遅れの 比較的重量のある掃除機であった。(担当者に、私の自前の掃除機の登録変えを申請したが、却下された) 私はその重い掃除機を左手で持ち上げながら、掃除を行った。そうすることが、効率的であったからだ (その前は、私の自前の軽い掃除機を肩から下げて掃除をしていた)。
非登録の掃除機であったも、それを使うことが 清掃では効率的であり、万事上手くいっていたのであるから、そうすべきであったのだ。それが賢明で高邁であったのだ。だが、使用禁止となったのだ。継続すると解雇すると言ってきた。
で、どうなったかというと、重い掃除機を使い、左肘の腱が伸びてしまい、今でも 完治していないのだ。
ヒマな ろくでなし が、社判を押した登録書に銘記された掃除機のみを使え、などというルールを作らなければ、私の左肘は、健全であったのだ。
このように、ろくでなしが傀儡政権の座に就いており、ヒマを持て余して、何かをやらかすと、国民はそのツケを払わされる、って寸法ね。
そもそも、ユダヤ・プロテスタントは一神教徒であり、一神教的イデオロギーに支配されている。このイデオロギーは、人間は誰でもが、創造主こと エイリアン によって創られた生き物であるから、平等であり、自由である、というものだ。(これは自明だろうし、私もそう思う)
私もこのイデオロギーに同調できるのだが、CIAなどは、何等かの スケベ根性 に洗脳されているから、一神教イデオロギーを、イデオロギーとして位置付けずに、世界制覇の 便利な大義 として利用し、一神教の御旗を掲げて、十字軍よろしく、行軍してるんじゃないかと、ま〜、そういう感想も 持ってしまう ことが、けっこうあるんだよね。
だから、キリスト教徒は ろくでなし なんだと、そのように定義したいわけ。
宗教は、人間の存在理由を追求し、これからどうあるべきか、の道筋を示してくれるものだと思うのだが、キリスト教は そうではなくて、始めに 世界制覇という 人間の欲望の潜在的な支配力に支配されてしまっている。仏教も同じだと思う。
結局、ユダヤ教やヒンドゥー教などの、いわゆる 旧教は、キリスト教に代表される ペテン新教 と異なり、人間の根源を探る。新教は、為政者の世界制覇の道具として、利用される。
ペテンキリスト教徒のCIAは、カダフィーやサダム・フセインを工作員として利用し、また、薩長なども傀儡政権として利用し、世界制覇の子分として利用する。これらの傀儡政権の担当者は、地元のヤクザ (薩長がまさにそうだ) であったり、英語が堪能で、ワイロによって支配できる人物である場合が多いのだろう。なにを言いたいのかというと、堅固な正義感に支配されていないから、容易に敵側に寝返るのだ。
傀儡政権担当の工作員は、歴史が証明しているように、できそこないなのだ。
ろくでなしでなければ、欲望指向性がないのであるから、そもそもの傀儡政権者としての素質を備えていない。傀儡政権者として適性のある者は、欲望指向性が高いから、ろくでなしだ。神は人に 二物 を与えていない。
ユダヤ・プロテスタントのお決まりの仕事は、敵側に寝返った ろくでなしども へのお仕置き。フセインは、攻撃された後に、死刑となった。薩長の場合は、東京裁判という偽の演劇で、表面的にだけ おしおき を与えて、実態は、戦後も傀儡政権を担わせた。高邁な戦略なのだろう。
地政学的にはそれでいいのかもしれないが、国民は大変だよ。薩長が特権階級としてひっこんでいてくれれば、国民に対する害は皆無だろう。
ところが、私が仕事をしている薩長系ゼネコンの場合、薩長はヒマなものだから、社員や私のようなパートタイマーを支配しようとする。勝手に仕事上のルールを作るわけだ。
具体的には、私の場合は、清掃で使う掃除機を、清掃会社の社判を押した登録書で登録した掃除機でなければならない、というルールを作る。
この登録された掃除機は、時代遅れの 比較的重量のある掃除機であった。(担当者に、私の自前の掃除機の登録変えを申請したが、却下された) 私はその重い掃除機を左手で持ち上げながら、掃除を行った。そうすることが、効率的であったからだ (その前は、私の自前の軽い掃除機を肩から下げて掃除をしていた)。
非登録の掃除機であったも、それを使うことが 清掃では効率的であり、万事上手くいっていたのであるから、そうすべきであったのだ。それが賢明で高邁であったのだ。だが、使用禁止となったのだ。継続すると解雇すると言ってきた。
で、どうなったかというと、重い掃除機を使い、左肘の腱が伸びてしまい、今でも 完治していないのだ。
ヒマな ろくでなし が、社判を押した登録書に銘記された掃除機のみを使え、などというルールを作らなければ、私の左肘は、健全であったのだ。
このように、ろくでなしが傀儡政権の座に就いており、ヒマを持て余して、何かをやらかすと、国民はそのツケを払わされる、って寸法ね。
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