かつて日本人は美しかった・・・
投稿者: mendelmiracl2008 投稿日時: 2011/08/12 20:23 投稿番号: [4829 / 7323]
【光人社
沖縄に死す】より
嵐の前の静けさ___
「第32軍は、人格高潔なる牛島将軍の統率の下、勇敢敢闘実に3ヶ月、
敵の主将、シモン・バックナーを倒し、その配下8個師団に痛撃を加え」
で始まる参謀総長、陸軍大臣から連名の決別電報が届く__
これを聞いた人々は、躍り出さんばかりに喜んでいるが、牛島司令官だけは
「惜しい人物をなくした」
と、つぶやき、悄然とうなだれていた。心からの哀悼の情を捧げたのであろう・・
軍司令部要員は、牛島大将の清らかな人柄に感銘し、襟を正したという。
雨宮第二十四師団長、鈴木独立混第四十四旅団長、和田砲兵司令官はそれぞれ
部下の先頭に立って敵陣に斬り込み戦死を遂げた。(中略)
第三十二軍司令官牛島満大将は、軍刀を右手に粛々と自決の場に向かう・・
上着を脱ぎ、下着に*義勇奉公
忠則盡命*と墨跡鮮やかに大書した参謀長長勇中将がそのあとに従う。
殿りは経理部長佐藤三代治大佐である。
やがて、牛島司令官が所定の場所に端然と座り、参謀長、経理部長はその左側である。
軍司令官は軍衣の前をひろげると、銘刀「来国俊」の鞘を払い、切っ先を腹に当てる
参謀長もつづいて「三池典太」を抜刀した。
介錯を命じられた剣道五段の坂口勝副官は既に所定の位置についている。
その時、経理部長が拳銃をこめかみに当て、「お先に失礼」と挨拶して引き金に指をかけた。
銃声が払暁のしじまを破る・・・
(以下後日談・・・)
軍とともに行動した仲順よし子さんの話だと、牛島中将の遺骸は摩文仁厳頭にシートをかぶせてあったといいます。
仲順さんは線香をたき冥福を祈ったそうです。
その三日後には既に遺骸はありませんでしたが、仲順さんはその場を立ち去ることができなかったといいます。
「一度だけだが『ご苦労様』と声をかけていただいたのが忘れられない。
お父さんと学校の先生をごっちゃにしたような温かい人だった。あの人が祀られていると思えばこそ
靖国神社を頼って上京したのです。未知の大都会で子供二人を育てるのは辛かったけれど
靖国神社の牛島さんに励まされて、これまでやってきた」と、よし子さんは涙ぐんだ・・
http://www.yasukuni.or.jp/news_detail.php?article_id=0040
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