韓流偏重抗議デモ お台場騒然

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侍がいた・・。

投稿者: bivausyu255 投稿日時: 2011/08/11 15:14 投稿番号: [3177 / 7323]
この話はネットから知りました。この当時にはいたんですね・・・サムライが・・。

西太平洋のミクロネシアにペリリュー島という小島があります。太平洋戦争中この島で日米両軍が死闘をくりかえした。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地がつくられ、島の住民は日本軍と一緒になってその陣地構築作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。やがて戦況は不利になり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
島民は日本に比べ白人の過酷な統治時代を身を持って体験している。大人も子供も日本人と一緒になって戦う決意をしていた。
仲間たちと話し合った島民は代表数人と共に、日本軍の守備隊長を訪れ、自分たちも一緒に戦わせて欲しいと頼み込んだ。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と一喝したそうです。

それを聞いた島民は・・・日本人は仲間だと思っていたのに・・・見せかけだったのか。裏切られた想いで、皆悔し涙を流したそうです。
船で島を去る日、日本兵は誰一人も見送りに来ない・・・。島民たちは、悄然として船に乗り込んだ。

しかし・・船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って島民を見送った。先頭にはあの「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」と叫んだあの隊長が笑顔で手を振っている。

その瞬間、島民達は悟った・・・あの言葉は自分達を戦闘に巻き込まないように、自分達を救おうという言葉だった。

あの当時・・・まだいたのですね・・・真のサムライが

それからペリリューの日本軍守備隊はペリリュー島民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して、全員安全なパラオ本島に退避させた。

そのあと・・日米両軍の凄惨な死闘が始まった。日本軍は全員玉砕・・。
戦闘が終了し、島に帰ったペリリューの島民、日本兵はあの隊長さん以下全員が死んでいた。「アメリカ人は日本兵の遺体には見向きもしないで、自国兵の遺体だけを葬っていた。ここに征服民族の本性を見る」として、島民はこぞって日本兵の遺体を葬ってくれました。
パラオが独立したとき、国民の間からデザインを一般公募した。決まったのは日の丸とよく似たデザインだったそうです。

余談ですが、日本の敗戦後、アメリカ軍は日本軍がペリリュー、パラオ島民を虐殺、虐待したとのでっち上げプロパガンダ(宣伝)を若者にしたそうですが、大人の島民全員そんなこと見たことも聞いたこともないと一言の下に否定したという。

まさに・・・黒沢明監督の七人のサムライのような人間が・・当時にはまだいたのですね。
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