Re: 沖縄県人は日本名と中国名を両方持って
投稿者: soraotukamu 投稿日時: 2011/08/09 11:12 投稿番号: [1227 / 7323]
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◆『沖縄タイムス』大弦小弦 (2005年8月8日)
やんばるへ出かけたついでに、名護の湖辺底の港を訪ねてみた。高速道路の許田IC近く、周辺の木立や砂浜が昔の琉球の面影を残しているようで、味わいのある景観だ。琉球国時代は、薩摩への上納米を集積する四津口(港)の一つだったという。
この港から、一八七六年十二月十日に琉球から中国へ最初の政治亡命となる幸地朝常、林世功、蔡大鼎一行が出航した。その馬艦船には国王尚泰の密書を携えた幸地、通訳や医師、身の回りの世話をする者らおよそ四十人が乗っていた。
琉球と明治政府のせめぎ合いは、彼らの主体的な活動で清を巻き込んだ琉球の主権問題として拡大していく。その中で、琉球を二分し日清が分割所有するとの案を日清間で合意。その渦中の八〇年、林世功は抗議の自殺をしている。
つい最近、北京大学の徐勇教授が「沖縄が日本の領土になったのは琉球王国に対する侵略の結果であり、第二次世界大戦後の米国からの返還も国際法上の根拠を欠き『主権の帰属は未確定』」との論文を発表した。
:中国は「沖縄の帰属は未定」というスタンスを取りはじめた
これは メッセージ 1222 (weight80k さん)への返信です.
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