Re: 国際標準で行こうぜ
投稿者: mariatips 投稿日時: 2012/09/15 10:00 投稿番号: [2701 / 3038]
図に乗って補足します。
要は「国際標準で行こうぜ」ということです。
NHKのアナウンサーが言うような単なる「共通認識」ではだめで、共通の判断基準でなければなりません。
双方で判断基準の違う共通認識というのはよくあることで、俗に言う玉虫色の解釈を許す合意というのがそれにあたります。
開国、明治維新を経由して、日本は国際標準に合わせる努力を自ら多大な出血を伴いながらも続けてきました。これは自らの判断基準を変えていくという作業であったわけです。
このような苦労を朝鮮や中国は知りません。
苦労を知らない子供に金と世話を焼き続けて大人にしてしまい、世間ずれを起こしていることに気がついていない状態と考えてよいでしょう。
(このようにしてしまった責任の一端は、大人的に考えれば日本にもあります。)
建国60年余、自らの顔に責任を持って国際標準になるならよし、
そうでない場合、取れる選択肢は二つ。
強制的に考え方を矯正する。(そのためには甘い顔を絶たねばなりません。力の行使も必要になるでしょう)
放置して自然消滅するのを待つ。(下手に力があるだけに崩壊も早いでしょう)
はっきり言って後者のほうが楽ですけどね。
適正(「正しい」とは言いません)な判断基準を持たない国・社会・組織がどうなったかは、近代史・現代史にもたくさん例があります。
※共通の判断基準が必ず持てるのかといえば、必ずしもそうではありません。
しかしながら、判断基準の違いを認識するというのは大切なことです。
解りやすく言えば価値観の違いというやつです。これを相手には強制せず、認め合ってこそお互いを尊重できます。
しかしながら、余りにも独特な価値観というのは世間には通用しません。
だからこそ問題解決には標準価値(国と国の場合は国際標準)による判断ということになるのです。
判断基準を妥協してはなりません。
そんなことをしたら、相手は日本の看板を掲げて、国際標準であると喧伝するに決まっているからです。
「正しいことをする日本」というブランドは相当なものなのです。
これは メッセージ 2640 (gensentoufu さん)への返信です.
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