日航機墜落後にみる“官害”
投稿者: erfgfhgs 投稿日時: 2012/04/16 19:26 投稿番号: [1178 / 1895]
『日本
権力醸造の謎
下』ウォルフレン
早川書房
1994
P171
制度的麻痺
日本特有の内部抗争が公益に重大な害を及ぼしうることは、記録的な520人の死者を出した1985年8月の日航機墜落事故の直後の動きによって示された。諸官庁が一致団結して関係一同のために悲劇を最小限にとどめるどころか、惨事は相互の敵意を強めてしまったのである。
まず、省庁間の管轄が混乱して救援活動に大きな遅れが出た。その間に多くの命が失われたであろう。最初の自衛隊の救援隊が、山腹の墜落現場に向かうまでに、14時間もかかった。4人の生存者の報告によると、墜落直後、生存していた乗客がもっといたし、聞こえていた子供たちの声が時間が経つについて次第に消えていったという。
航空自衛隊はレーダーから日航機の機影が消えたのを知り、調査に出された2機のファントム戦闘機は4分以内に現場の位置を突き止めた。だが、後続行動を起こさず、そのまま基地に戻った。一番に責任のある官庁である運輸省航空局が、捜索開始を陸上自衛隊に要請したのはその2時間半後である。ヘリコプターを持つ墜落緊急救援隊は日本にも存在するのに、出動は要請されなかった。墜落現場を管轄とする群馬県警には、ヘリコプターがなかった。2つの米空軍基地が困難な夜間の山中での捜索に、機材とベテラン隊員を提供すると援助を申し出たが、どの官庁からも反応がなくこれらの専門家は約13時間近く待機するだけで活用されることはなかった。一方、現場がすでに判明しているのに、派遣された陸上自衛隊の第一陣は間違って別の山に行ってしまった。事故から10時間後、自衛隊の救援ヘリコプターがジェット機の残骸を発見したが、救援行動にとりかからなかった。行動命令は別の部隊に出されていたからだ。・・・
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