天安撃沈の証拠の謎
投稿者: okyukotyoisu 投稿日時: 2010/05/21 21:49 投稿番号: [765 / 5735]
天安は3月26日に沈没して4月15日に艦首部分が引き上げられるまで海中にありました。公開された写真では、錆びたような部分は見られません。4月24日に引き上げられた船尾についても同じことが言えます。
ところが、韓国軍が公開した魚雷の推進部分は、かなり錆びています。この部分が漁船によって引き上げられたのは5月15日、期間と素材の違いによって、錆び具合がこれほど異なるのでしょうか?
通し番号、最初はシリアル番号、製造番号と伝えられていました。刻印でもされているのかと思ったら、まるでマジックペンで書きなぐったように「1番」とあるだけです。この種の証拠は捏造出来ます。
韓国軍が最初に発表したドイツ製の魚雷のアルミ片は、どう言うことになったのでしょうか?
問題の魚雷を天安の撃沈に直接結びつける証拠はありません。
魚雷の推進部分は、5月15日に複数の漁船のトロール網にかかったようです。
漁船には韓国軍要員が同乗していたと言いますから、引き上げ直後の写真も当然あるはずです。何故、そちらは示すことが出来ないのでしょうか?
天安の沈没地点を中心に500メートルを何回もトロールしていたようです。
何回か網が破れることもあったようです。何故、それ以前のトロールには掛からずに5月15日のトロールに集中して部品が相次いで発見されたのか、これも謎です。
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