衝撃の事実:2千年前には朝鮮族はいなかった
投稿者: ftg_algernon 投稿日時: 2011/11/20 08:57 投稿番号: [643 / 1557]
《日本人はY遺伝子がD2系の人種&民族と言える…が,朝鮮族は?》
韓国(朝鮮)人以外の普通の考古学者の分析では…,
中国の「三国史(魏,呉,蜀)」時代(紀元後3世紀頃)に,朝鮮半島には国は無く,中国の一地方であったというのが定説である。
※Wikipedia等で,公孫氏,公孫度,楽浪郡,帯方郡,を参照して下さい。
●楽浪郡
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A5%BD%E6%B5%AA%E9%83%A1&oldid=39417413
■同じ時代にいた,高句麗や扶余は,古代中国の都(北京)を襲ったりしていたが,本拠地は中国の遼寧や吉林省である。(高句麗は,4世紀に楽浪郡の平壌(現在の北朝鮮の首都)を襲い首都とした)
コリア→高麗→高句麗で,朝鮮族の祖先を高句麗とするなら,朝鮮族の祖先は高句麗の更に祖先の「扶余」という事になる。
■朝鮮族の祖先は,万里の長城の外側から中国の都(北京)を襲って回っていた東胡,鮮卑,烏桓,夫余,高句麗,満州,女真などの盗賊的騎馬民族ではないだろうか?
それらの民族が,数々の戦闘で本拠地を追われ,千山山脈,長白山脈を越えて現在の朝鮮半島に流入して住み着いただけの話であり,現代朝鮮人のルーツは朝鮮半島それ自体には無いのかも。
(古代朝鮮王朝の伝説の始祖の檀君の生まれは白頭山。また,高句麗の始祖,朱蒙も中国内地の扶余族の生まれと言われる。また,父系Y遺伝子的にも周辺民族の中国河北人や満州人やモンゴル人と大差ない血統。)
本来,朝鮮族のルーツは遼寧半島や白頭山周辺,或はその以西以北の蛮族にあり,実は半島の外来種である可能性が高いのではないだろうか。
彼らは竹島(独島)を不法占拠するよりも,中国の遼寧や吉林を襲って朝鮮族の故郷とすべき。その方が余程正当性がある。
■また,三国史時代の朝鮮半島の南部には,『大韓民国(韓国)』の名前の由来になった,馬韓,辰韓,弁韓(弁辰)の「三韓」(※国と言うよりは村落扱い)が細々と存在した様です。(後に魏の地方行政機関の「帯方郡」に編入)
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
「韓は帯方郡(※注:中国の地方行政機関)の南に在り,東西は海で尽きる。南に倭と接し,地積は4千里ばかり。韓には三種あり,一に馬韓,二に辰韓,三に弁韓。辰韓とは昔の辰国なり。馬韓は西に在る。その民は土着し,種を植え,養蚕を知っており,綿布を作る。各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。」
↑※「三つの韓」は,国ではなく「村(邑)」という記述。
■三国志魏書,後漢書などによると,馬韓の王(村長)が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,また国の境があるとはいえ,倭人や倭人系譜の土着土人(刺青風習)が自由に暮らしている様子から,当時の朝鮮半島南部地域は,王様の支配力が弱い空き地だらけの僻地(未開の土地)であった様である。
倭や土着土人達が住んでいた土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更には流入した秦の難民達が勝手に次々と占拠していった…という事ではないだろうか。
ちなみに,「倭」と古代の中国国家との関わりは,前漢時代(紀元前2世紀頃〜紀元)までさかのぼる事が出来る。
紀元前後に,日本独自の青銅器「銅鐸」や中国製「銅鏡」が日本列島から多数見つかる割に,朝鮮半島からは見つからない…この事からも,紀元前後の古代の朝鮮半島には国がなく,日中間で直接交流がされていたと推察される。
●銅鏡
(古代日本人は銅鏡をこよなく愛した。前漢時代のから魏,呉,普の迄。日本独自の「三角縁獣神鏡」も)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%8A%85%E9%8F%A1&oldid=39263907
●倭国大乱(2世紀頃)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%B9%B1&oldid=38039582
●日本の弥生時代の主な出来事
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B8%BB%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B&oldid=38036616
韓国(朝鮮)人以外の普通の考古学者の分析では…,
中国の「三国史(魏,呉,蜀)」時代(紀元後3世紀頃)に,朝鮮半島には国は無く,中国の一地方であったというのが定説である。
※Wikipedia等で,公孫氏,公孫度,楽浪郡,帯方郡,を参照して下さい。
●楽浪郡
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%A5%BD%E6%B5%AA%E9%83%A1&oldid=39417413
■同じ時代にいた,高句麗や扶余は,古代中国の都(北京)を襲ったりしていたが,本拠地は中国の遼寧や吉林省である。(高句麗は,4世紀に楽浪郡の平壌(現在の北朝鮮の首都)を襲い首都とした)
コリア→高麗→高句麗で,朝鮮族の祖先を高句麗とするなら,朝鮮族の祖先は高句麗の更に祖先の「扶余」という事になる。
■朝鮮族の祖先は,万里の長城の外側から中国の都(北京)を襲って回っていた東胡,鮮卑,烏桓,夫余,高句麗,満州,女真などの盗賊的騎馬民族ではないだろうか?
それらの民族が,数々の戦闘で本拠地を追われ,千山山脈,長白山脈を越えて現在の朝鮮半島に流入して住み着いただけの話であり,現代朝鮮人のルーツは朝鮮半島それ自体には無いのかも。
(古代朝鮮王朝の伝説の始祖の檀君の生まれは白頭山。また,高句麗の始祖,朱蒙も中国内地の扶余族の生まれと言われる。また,父系Y遺伝子的にも周辺民族の中国河北人や満州人やモンゴル人と大差ない血統。)
本来,朝鮮族のルーツは遼寧半島や白頭山周辺,或はその以西以北の蛮族にあり,実は半島の外来種である可能性が高いのではないだろうか。
彼らは竹島(独島)を不法占拠するよりも,中国の遼寧や吉林を襲って朝鮮族の故郷とすべき。その方が余程正当性がある。
■また,三国史時代の朝鮮半島の南部には,『大韓民国(韓国)』の名前の由来になった,馬韓,辰韓,弁韓(弁辰)の「三韓」(※国と言うよりは村落扱い)が細々と存在した様です。(後に魏の地方行政機関の「帯方郡」に編入)
●『三国志魏書』馬韓伝
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
「韓は帯方郡(※注:中国の地方行政機関)の南に在り,東西は海で尽きる。南に倭と接し,地積は4千里ばかり。韓には三種あり,一に馬韓,二に辰韓,三に弁韓。辰韓とは昔の辰国なり。馬韓は西に在る。その民は土着し,種を植え,養蚕を知っており,綿布を作る。各邑落には長帥(邑落の長)がおり,大首領は自らを臣智と称し,その次が邑借で,山海の間に散在しており城郭はない。」
↑※「三つの韓」は,国ではなく「村(邑)」という記述。
■三国志魏書,後漢書などによると,馬韓の王(村長)が 秦(中国)の逃亡者に土地を分け与えたり,また国の境があるとはいえ,倭人や倭人系譜の土着土人(刺青風習)が自由に暮らしている様子から,当時の朝鮮半島南部地域は,王様の支配力が弱い空き地だらけの僻地(未開の土地)であった様である。
倭や土着土人達が住んでいた土地を,後からやって来た中国人の箕子,衛満,更には流入した秦の難民達が勝手に次々と占拠していった…という事ではないだろうか。
ちなみに,「倭」と古代の中国国家との関わりは,前漢時代(紀元前2世紀頃〜紀元)までさかのぼる事が出来る。
紀元前後に,日本独自の青銅器「銅鐸」や中国製「銅鏡」が日本列島から多数見つかる割に,朝鮮半島からは見つからない…この事からも,紀元前後の古代の朝鮮半島には国がなく,日中間で直接交流がされていたと推察される。
●銅鏡
(古代日本人は銅鏡をこよなく愛した。前漢時代のから魏,呉,普の迄。日本独自の「三角縁獣神鏡」も)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%8A%85%E9%8F%A1&oldid=39263907
●倭国大乱(2世紀頃)
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%80%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%B9%B1&oldid=38039582
●日本の弥生時代の主な出来事
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B8%BB%E3%81%AA%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B&oldid=38036616
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