●分割された世界の緩衝地≒占拠地ニッポン
投稿者: arubekisugata_soumoukukki 投稿日時: 2010/11/25 23:31 投稿番号: [2761 / 7259]
緩衝地〔≒占拠地〕
利害が対立する国家や勢力の衝突を和らげるために設けた中間の地
ー・−
共産主義諸国と自由主義諸国との間に築かれた緩衝地
日本の敗戦と同時に、アジアでは大東亜共栄圏が崩壊。
中国大陸、朝鮮半島、東南アジアから日本支配の影が消えた。
またドイツ第三帝国の消滅でヨーロッパ諸国が復活した。
新しい世界はしかし、
対立を深めるアメリカ・イギリスとソ連によって分割された。
ヨーロッパでは、ソ連軍が占領した地域で共産政権が次々と成立、
ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・
アルバニアが独立を果たした。
これらの国では共産党の独裁体制が政治を行い、農地改革を行って
ソ連型の国づくりに努力した。
東欧諸国がソ連の傘下に入ったのは、
ソ連の指導者スターリンの意向が働いたとされる。
東欧諸国が自由主義的な国家をつくると、
ソ連はじかに自由主義と接することになる。
そこから自由主義が侵入して共産体制が崩れるかもしれない。
それをおそれたスターリンは、ソ連と自由主義諸国との間に、
緩衝地を築きたかったのだ。
西欧諸国では変革が相次いだ。
ドイツ本国はヤルタ協定にもとづいて分割占領され、
ナチス指導者が捕らえられニュルンベルク国際軍事裁判所で
責任を追及された。
ドイツに吸収されていたオーストリアは独立し、永世中立国となった。
イギリスでは戦争を指導したチャーチルが45年の総選挙に敗れ、
労働党のアトリーが首相に就任、「ゆりかごから墓場まで」と称された、
イギリス式福祉のさきがけとなった。
独立を取り戻したフランスでは第四共和制が成立したが、
政治の安定を取り戻すことはできなかった。
敗戦国イタリアでは王制が崩壊、
右派のキリスト教民主党と左派のイタリア共産党が議会を二分した。
自国の復興に必死の西欧諸国に変わって世界の覇者となったのは、
アメリカだった。
朝鮮の統一は
米ソの対立からうやむやになり米ソによって分割占領、
ソ連占領地には北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が成立、
アメリカ占領地には韓国(大韓民国)が建国された。
国民党と共産党が日本軍と戦うために団結していた中国では、
終戦当初から国共内戦が再燃、
日本軍が去ってからも中国では戦火の絶えることはなかった。
戦勝国の緩衝地★冷戦孤児:北朝鮮誕生
1950年6月、
北朝鮮軍は38度線を越えて韓国に侵攻、
ソ連製の最新兵器で武装した北朝鮮軍はあわてて応戦した韓国軍を圧倒し、
韓国の首都ソウル市を制圧、さらに韓国南端のプサン市に韓国軍を追い込んだ。
このとき滅亡寸前の韓国を救ったのが、発足したばかりの国際連合だった。
国際連合では、
大陸を統一した中華人民共和国が「正式な中国」であるとするソ連と、
台湾に逃亡した蒋介石政権が「中国」であるとするアメリカが対立、
ソ連が国連安全保障理事会をボイコットしていた。
アメリカはこれを利用して、
安保理に韓国を支援し北朝鮮を「侵略者」とする国連軍の派遣を要請、
これが可決されたため、アメリカは自ら国連軍の中核となり、
ソウル近郊のインチョン市付近に攻撃を仕掛けた。
アメリカは韓国を支援してプサンに攻め込むだろうと考えていた北朝鮮軍は、
なんと背後からの攻撃を食らって混乱した。
アメリカに支援された韓国軍は北上してソウル市を奪還、
今度は北朝鮮の首都ピョンヤン市を制圧した。
北朝鮮軍は北部山岳地帯に逃げ込み、
あとはこれを掃討するだけだと韓国が考えていたとき、新たな敵が出現した。
中国の毛沢東主席に言わせれば、
新しく成立したばかりの中国と自由主義の韓国が国境を接するのは
許せないことだった。
中国は「義勇軍」と称して正規軍(人民解放軍)を投入、北朝鮮を支援した。
人海戦術でじりじりと中国軍は前進、結局、韓国と北朝鮮は
当初の境界・北緯38度線で対峙することになった。
1953年、3年間にわたった朝鮮戦争はソ連の仲介で停戦。
両国の軍事境界ラインにあるパンムンジョムで停戦協定が結ばれ、
現状の維持で合意した。
北朝鮮のキム=イルソン首相はソ連・中国と、
韓国のイ=スンマン大統領はアメリカとの関係を強化し、
「停戦」に過ぎない朝鮮戦争の再開に準備した。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=FN&action=m&board=1998405&tid=topix&sid=1998405&mid=11028&thr=11026&cur=11026&dir=d
利害が対立する国家や勢力の衝突を和らげるために設けた中間の地
ー・−
共産主義諸国と自由主義諸国との間に築かれた緩衝地
日本の敗戦と同時に、アジアでは大東亜共栄圏が崩壊。
中国大陸、朝鮮半島、東南アジアから日本支配の影が消えた。
またドイツ第三帝国の消滅でヨーロッパ諸国が復活した。
新しい世界はしかし、
対立を深めるアメリカ・イギリスとソ連によって分割された。
ヨーロッパでは、ソ連軍が占領した地域で共産政権が次々と成立、
ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・
アルバニアが独立を果たした。
これらの国では共産党の独裁体制が政治を行い、農地改革を行って
ソ連型の国づくりに努力した。
東欧諸国がソ連の傘下に入ったのは、
ソ連の指導者スターリンの意向が働いたとされる。
東欧諸国が自由主義的な国家をつくると、
ソ連はじかに自由主義と接することになる。
そこから自由主義が侵入して共産体制が崩れるかもしれない。
それをおそれたスターリンは、ソ連と自由主義諸国との間に、
緩衝地を築きたかったのだ。
西欧諸国では変革が相次いだ。
ドイツ本国はヤルタ協定にもとづいて分割占領され、
ナチス指導者が捕らえられニュルンベルク国際軍事裁判所で
責任を追及された。
ドイツに吸収されていたオーストリアは独立し、永世中立国となった。
イギリスでは戦争を指導したチャーチルが45年の総選挙に敗れ、
労働党のアトリーが首相に就任、「ゆりかごから墓場まで」と称された、
イギリス式福祉のさきがけとなった。
独立を取り戻したフランスでは第四共和制が成立したが、
政治の安定を取り戻すことはできなかった。
敗戦国イタリアでは王制が崩壊、
右派のキリスト教民主党と左派のイタリア共産党が議会を二分した。
自国の復興に必死の西欧諸国に変わって世界の覇者となったのは、
アメリカだった。
朝鮮の統一は
米ソの対立からうやむやになり米ソによって分割占領、
ソ連占領地には北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が成立、
アメリカ占領地には韓国(大韓民国)が建国された。
国民党と共産党が日本軍と戦うために団結していた中国では、
終戦当初から国共内戦が再燃、
日本軍が去ってからも中国では戦火の絶えることはなかった。
戦勝国の緩衝地★冷戦孤児:北朝鮮誕生
1950年6月、
北朝鮮軍は38度線を越えて韓国に侵攻、
ソ連製の最新兵器で武装した北朝鮮軍はあわてて応戦した韓国軍を圧倒し、
韓国の首都ソウル市を制圧、さらに韓国南端のプサン市に韓国軍を追い込んだ。
このとき滅亡寸前の韓国を救ったのが、発足したばかりの国際連合だった。
国際連合では、
大陸を統一した中華人民共和国が「正式な中国」であるとするソ連と、
台湾に逃亡した蒋介石政権が「中国」であるとするアメリカが対立、
ソ連が国連安全保障理事会をボイコットしていた。
アメリカはこれを利用して、
安保理に韓国を支援し北朝鮮を「侵略者」とする国連軍の派遣を要請、
これが可決されたため、アメリカは自ら国連軍の中核となり、
ソウル近郊のインチョン市付近に攻撃を仕掛けた。
アメリカは韓国を支援してプサンに攻め込むだろうと考えていた北朝鮮軍は、
なんと背後からの攻撃を食らって混乱した。
アメリカに支援された韓国軍は北上してソウル市を奪還、
今度は北朝鮮の首都ピョンヤン市を制圧した。
北朝鮮軍は北部山岳地帯に逃げ込み、
あとはこれを掃討するだけだと韓国が考えていたとき、新たな敵が出現した。
中国の毛沢東主席に言わせれば、
新しく成立したばかりの中国と自由主義の韓国が国境を接するのは
許せないことだった。
中国は「義勇軍」と称して正規軍(人民解放軍)を投入、北朝鮮を支援した。
人海戦術でじりじりと中国軍は前進、結局、韓国と北朝鮮は
当初の境界・北緯38度線で対峙することになった。
1953年、3年間にわたった朝鮮戦争はソ連の仲介で停戦。
両国の軍事境界ラインにあるパンムンジョムで停戦協定が結ばれ、
現状の維持で合意した。
北朝鮮のキム=イルソン首相はソ連・中国と、
韓国のイ=スンマン大統領はアメリカとの関係を強化し、
「停戦」に過ぎない朝鮮戦争の再開に準備した。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=FN&action=m&board=1998405&tid=topix&sid=1998405&mid=11028&thr=11026&cur=11026&dir=d
これは メッセージ 1395 (arubekisugata_soumoukukki さん)への返信です.
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