Re: 「なにくそ」と思え日本人よ! 挑戦者
投稿者: jamingwithed 投稿日時: 2011/01/22 03:19 投稿番号: [63 / 123]
>日教祖が企てた「ゆとり教育」なるものが、高学歴低学力の子供たちを造った。
>詰め込みがダメだなんて、なんの根拠もない。
>先ずは詰め込まなきゃだめです。
>そして、学力テストで、競争させる必要があります。
>社会に出れば、国内での競争、そして、国際間での競争が待っている。
本当ですね。
社会に出れば、昇進する者、しない者が絶対に出てくるなんて、大人にならなくても、実は子供だって知っている。
教頭、校長になる者、一生ならない者がいることも知っている。
小学校の競争のように、みんなで手をつないでというのはありえない。
国内、特に国際社会ではさらにあり得ない。
第一、小学校で競争させないような学校に、先生の役職や給料の差など必要なし。
大人になっても、お手てつないで一緒にゴール、誰にも差があってはならないというならば、まず先生たちがお手本を見せるべきだろう。
先生たちにそれをさせず、子供相手だけに、彼らが目の当たりにしている(子供だって気づいてないわけではない)現実とかけ離れたファンタジーを強要するのはどうかと思う。大人は子供に強要する前に、まず自分たちが、そのお手本を見せねばならない、という事実から目をそらそうとわざとしているのか。まあ、ほとんどの日教組教師たちは、自分らのやっていることを、全く気づかずにやってる者が大半だろう。
みんなで手をつないでゴールをするのは、実際、責任感を育てるべき子供たちを、みんなで手をつないで逃げるように育ててはいないか。
助け合いの心を育てると言うかもしれないが、助け合いというのは、各自に力があってこそ、お互いに意味を為すものである。力をつければ、それは責任をも持つことにもつながる。
だが、日教組は、資本主義社会の子供たちに、世界でただの一度も成功したことがない「共産主義」なるファンタジーを教育と称して施し、資本主義社会の真っ只中に放り出す無謀を目論んだ。子供たちを自分らの理想の実験台に簡単にできる日教組に至っては、資本主義のトップにしがみついたら絶対に放そうとしない。子供たちに強要することと、自分たちがしがみ付きたがることとに、大きな乖離があることについてはどこ吹く風。
中国は世界の経済大国になりましたと、中国人教師たちが、喜ばしげに子供たちに教育しつつ、その実、その教師や子供のほとんど大半が、一生みすぼらしい生活のまま、教師が教えること、子供たちが学ばされること、実際に経済の恩恵を受ける共産党や教唆等関係の個人資産家など、それら全てに激しい乖離がある今まさに中国の現状と、よく似ている。まさに共産主義教育を理想として施す日教組の面目躍如といったところか。
ついでに言わせてもらうなら、そういった教育を施した日本の子供たちに、第九条を強要すると、国際社会で一般的に起こる問題にぶつかった際、逃げてばかりいるか、あるいは我慢に我慢を重ねたあげく、いきなり切れて、昔風に言えばちゃぶ台を思いっきりひっくり返すような、戦前の日本人みたいにならないとも限らない。そういった日本人を育て上げるのが日教組の理想なのだろうか。優しい環境でなら優しい人間でいれても、優しくない環境で(国際社会は特にそう)どう的確な判断を下し行動できるか、そういった責任感を持つ子供たちを育てていかねばならないはずである。
>詰め込みがダメだなんて、なんの根拠もない。
>先ずは詰め込まなきゃだめです。
>そして、学力テストで、競争させる必要があります。
>社会に出れば、国内での競争、そして、国際間での競争が待っている。
本当ですね。
社会に出れば、昇進する者、しない者が絶対に出てくるなんて、大人にならなくても、実は子供だって知っている。
教頭、校長になる者、一生ならない者がいることも知っている。
小学校の競争のように、みんなで手をつないでというのはありえない。
国内、特に国際社会ではさらにあり得ない。
第一、小学校で競争させないような学校に、先生の役職や給料の差など必要なし。
大人になっても、お手てつないで一緒にゴール、誰にも差があってはならないというならば、まず先生たちがお手本を見せるべきだろう。
先生たちにそれをさせず、子供相手だけに、彼らが目の当たりにしている(子供だって気づいてないわけではない)現実とかけ離れたファンタジーを強要するのはどうかと思う。大人は子供に強要する前に、まず自分たちが、そのお手本を見せねばならない、という事実から目をそらそうとわざとしているのか。まあ、ほとんどの日教組教師たちは、自分らのやっていることを、全く気づかずにやってる者が大半だろう。
みんなで手をつないでゴールをするのは、実際、責任感を育てるべき子供たちを、みんなで手をつないで逃げるように育ててはいないか。
助け合いの心を育てると言うかもしれないが、助け合いというのは、各自に力があってこそ、お互いに意味を為すものである。力をつければ、それは責任をも持つことにもつながる。
だが、日教組は、資本主義社会の子供たちに、世界でただの一度も成功したことがない「共産主義」なるファンタジーを教育と称して施し、資本主義社会の真っ只中に放り出す無謀を目論んだ。子供たちを自分らの理想の実験台に簡単にできる日教組に至っては、資本主義のトップにしがみついたら絶対に放そうとしない。子供たちに強要することと、自分たちがしがみ付きたがることとに、大きな乖離があることについてはどこ吹く風。
中国は世界の経済大国になりましたと、中国人教師たちが、喜ばしげに子供たちに教育しつつ、その実、その教師や子供のほとんど大半が、一生みすぼらしい生活のまま、教師が教えること、子供たちが学ばされること、実際に経済の恩恵を受ける共産党や教唆等関係の個人資産家など、それら全てに激しい乖離がある今まさに中国の現状と、よく似ている。まさに共産主義教育を理想として施す日教組の面目躍如といったところか。
ついでに言わせてもらうなら、そういった教育を施した日本の子供たちに、第九条を強要すると、国際社会で一般的に起こる問題にぶつかった際、逃げてばかりいるか、あるいは我慢に我慢を重ねたあげく、いきなり切れて、昔風に言えばちゃぶ台を思いっきりひっくり返すような、戦前の日本人みたいにならないとも限らない。そういった日本人を育て上げるのが日教組の理想なのだろうか。優しい環境でなら優しい人間でいれても、優しくない環境で(国際社会は特にそう)どう的確な判断を下し行動できるか、そういった責任感を持つ子供たちを育てていかねばならないはずである。
これは メッセージ 42 (riode_2090 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/200000436/cf9qa1a2c0a43a620la4n7pbaqbg9qa4k_1/63.html